螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

ぜんぜんわからない。ぜんぜん前世からわからない。君を探してもいない。

「その気持ちは、きっと大切なものだ。正義のために生きること。自分のために生きること。多くの局面で矛盾するこの二つの指針を、それでも止揚しなくてはならない。妥協して折り合うのではなく、そのどちらも活かし、互いが互いを高め合える。そんな統合が必要なんだ」
「歪律領域(ヌミノース)のように、でありますか?」

 静謐な目の少年は、ゆっくりと首を振った。

「君はきっと、歪律領域(ヌミノース)に覚醒するには執着が足りないと思う。だけど、小世界になら至れるかもしれない。統合を行うのは「己と外界」ではなく、「己の中の二つの信念」だ。君は二つの想いを二重螺旋に縒り合わせながら、新たな命として目覚めなくてはならない」
「二つの、想いを……」

 胸のうちのままならぬ何かを、必死に押し殺しながら、それでもフィンに手を伸ばし続けた、二人。
 どちらの救いが正しかったか――なとという問いは意味がない。答えなど出るはずのない問いだ。
 そうではなく、二つともが不可欠の要素として組み込まれた悟りでなくてはならない。
 ――それは。

「……救われるために祈るのではない。祈ることが救いなのだ」

 つまり、シロガネ世界にしか存在しない歪律領域を絡めて疑似的に黄金錬成を発動させようというわけだ。んで? どういう悟りにすんの? 最後のセリフ何? 誰が言ってんの? フィン少年の発言であるが、たぶん、故郷の世界の宗教関係の偉い人が言った言葉なんじゃないかなと思うんだが、ええと、これがなんだっつーんだよ。ぜんぜんわからん。俺は雰囲気で小説を書いている。ええと、正義のために生きること。自分のために生きること。これをどう止揚するか。止揚とは妥協ではない。この点は重要である。正義のために生きるからこそ、真に己のために生きることができ、また、己のために生きるからこそ、真に正義のために生きることができるのだ。これをどう表現するか。たとえば、前半で総十郎が言ったように、「君が守る対象に君自身も入れてあげてくれ」という意見はかなり正解に近いような気がするが、しかしそれをここで持ち出して結論とするのは、二番煎じ感が否めない。もっと高次の悟りでなければ、黄金錬成発動という奇跡には説得力が生じない。この二つのテーゼが一見対立してしまうのは、自分と他人の片方しか助けることができない場合がありうるという理由による。この場合において二つのテーゼを高次的に満たせる悟り。

 

 時間切れ。

 

(なんだ? ぜんぜんわからん)

いくらトウマ氏が本質突くマンだったとしても限度がある

 トウマが、不思議な包容力のある眼差しでこちらを見ている。

「その気持ちは、きっと大切なものだ。

 はい。来た。来ましたよ。クソ雑魚ナメクジモード。来ました。入りました。俺はどうしたいのか。とりあえず、トウマの言葉で、フィン少年の中でなんかがあって、で、黄金錬成が一瞬発動し、なんか身体が天使化して、ヴォルの鎌の最後の一つをどうにか見切る的な。そうゆう展開にしたいわけだが、しかしトウマの言葉って何。具体的に何なの。そうゆうこともプロット段階で決めておくべきなのだろうか。だが、今うんうん唸って全く思いつかないものが、プロット段階だからといって思いつくわけがなく、結局うんうん唸るタイミングが違うだけじゃないのか。そういう言い訳をしながら俺は今まで即興で書いてきた。違う。そういうことが書きたいんじゃない。あのー、ピンチで新たな能力に覚醒するとかいう展開が、あまり好きではないというか、その瞬間に新たな能力がアンロックされることに合理的な理由を求めるマンなので、なぜ今まで使えなかったのか。なぜ今使えるのか。両方の疑問に明確な回答がないとそうゆう展開をやりたくないわけですな。で、ここでは恐らく精神論的なアプローチでどうにか天使化機能をアンロックしようとしているようなのだが、しかしそれは合理的な理由づけにならないような気がする。

 

 時間切れ。

 

(そもそも黄金錬成はフィンの世界の知識階級が雁首揃えて頭を抱えても理解できなかった代物である。それをいまフィンが扱える理由として精神論は弱すぎる。追い詰められていたのはフィンの世界の学者たちも同じだろ!!!! どうすればいいんだ)

神話のガバに整合性を求めるなという話であるが、小説にする以上、我々から見ても合理性のある展開にせねばなるまいよ

 フィンは、唇を噛んで見ていることしかできなかった。
 ことごとく次元の違う攻防であったから。
 アゴスの斬撃を、フィンは視認できない。ただ総十郎の陽炎のごとき動きから、残る最後の一振りの軌跡を事後承諾めいて推察できるだけだ。

 ――だからこそ。フィン、お前は……お前だけは、滅びゆく良き人々のそばに寄り添え。手を握り、最期まで一人ではないのだと囁きかけられる、優しき戦士となれ。軍規や、理屈や、しがらみに囚われず、牙なき人の明日のため、最後の希望でありつづけろ。

 ――生きて、フィン。自分のために。責務なんてもう無意味なの。存在しないの。だから、お願い。逃げて。カイン人に戦いなんて挑んでは駄目。逃げて、逃げて、逃げ続ければ、ひょっとしたら世界のどこかに、カイン人の汚染に沈んでいない場所があるかも知れない。

 二人の言葉が、優しさと哀しみが、胸で燃えている。
 ちちうえと、ははうえの想いを、等しく受け継いで。
 だからフィンは、片目と片腕が、熱を帯びていることに気づいた。

「フィンくん」

 トウマが、不思議な包容力のある眼差しでこちらを見ている。

 しかしちょっと残念だったのが、本書もクーフーリンやフィアナ騎士団の逸話のすべてを網羅しているわけではないっぽいことである。いや、しょうがないと言えばしょうがないのだが、『ケイネス先生の聖杯戦争』小説化の目論見にはディルムッドの剣であるモラ・ルタとベガ・ルタがいかなる経緯でディルムッドのものとなり、どのような効果を持つ武器だったのか。それからドルイド僧アンガスのもとで育った少年時代の様子をぜひとも知りたかったのだが、そうゆう情報はなかった。というかゲイ・ジャルグは二回、ゲイ・ボウは一回しか出てこず、どちらも「魔法無効化」だの「回復阻害」だのいう効果の記述は一切なかったのである。いったいどこまでが神話に根拠のある情報で、どこからが型月関連の創作なのかがわからなくなってくるマンであった。あと、奇妙なのが聖約(ゲッシュ)の扱いである。ケルト神話のキャラクターはゲッシュなる制約を自らに課すことでパラメータに大幅なバフを盛ることができるゲームシステムになっているのだが、そしてゲッシュを破ることは死ぬよりも恐ろしい不名誉であり、そんなことをした奴はもう永遠に日の本を歩けないし社会的に死ぬ。そうゆう世界だ。だが、ディルムッドをグラニアが無理やり駆け落ちさせる際に

 

 時間切れ。

 

(「わたしを妻とする」というゲッシュを思い人にかけたためにディルムっさんの人生はオワタわけであるが、いやちょっと待て。ゲッシュって自分で立てるものじゃないの??? そんな、他人から同意もなく押し付けられたゲッシュが効力を持つものなのか??? だったら戦いなんて非効率的なことしてないで敵にゲッシュを押し付け合う戦法がまかり通らない???)

完全にディルムッドがフィンを食ってた

 だが――〈黒き宿命の吟じ手(カースシンガー)〉と噛み合っていた紅刃が身を引き、別角度からギデオンに迫る。巨神の膂力は乗らなくなるが、〈終末の咆哮(ワールドイーター)〉は自律して動くこともできる。

『そウかい〈鉄仮面〉……イいと思ウぜ……オレにはワからネえが……テメェがマジだッテことだけはわかルッ!!』

 伸び、のたうち、殺戮の神の下知を伝える。雷光の速度で風を切り、大気が絶叫を上げる。
 闇色の刃が幾重にも閃き、鏖殺鎌の暴威を受け止め続ける。衝撃吸収の権能に、〈黒き宿命の吟じ手(カースシンガー)〉が目も眩まんばかりの闇を宿す。

『いいもんダよなァ!! マジに生きルってのはよォッ!!』
「あぁ……あぁ、そうだなッ!!」

 無数の、無限の、無量の想いを殺意に変え、二者は斬撃を言語として語り合う。
 結果がどうあれ、これが間違いなく最後の機会だったから。
 この動乱で培われた、奇妙な絆(サツイ)。その終着を、二人とも確信していたから。

 ●

 フィンは、唇を噛んで見ていることしかできなかった。

 あぁ、あんまり進まなかったニョ。あのー、『炎の戦士クーフリン/黄金の騎士フィン・マックール』を読了した。なんだ、フィン編の後半からディルムッドが登場するわけだが、基本的にフィンより主人公っぽい。というかフィンがグラニアがらみだと途端にダサくなるというか! あのー、『Fate/zero』だと、フィン・マックールってただの嫌なオッサンにしか見えないが、その実己の生涯の最期となる戦いに赴こうとするディルムッドを必死に止め、泣き笑いの顔を見せたというウィキペディアの記述から、あぁ、ディルムッドを憎みはしても、一方で本当は和解したいんだな、という複雑なオッサン心を覗かせているように感じられて、なかなか味わい深い男じゃないのと思っていたのだが、実際にそのシーンを読んでみると、どっちかっつーと責任逃れのために一応言葉の上では止めとくか、みたいな打算を感じて正直フィンの格というかオサレ値が大幅に下がったのだが、しかしフィンの見せ場はそのあとだったのだ。ええと、前編のクーフーリン編では、クーフーリンのカラテが高まるとその額から「英雄光」なる原理不明の光が放射されるのだが、フィンは最初から老いた終盤まで一度も英雄光が額に宿ることはなかったのである。

 

 時間切れ。

 

(ところが――その最期の戦いで、老境に入り、ディルムッドを謀殺するという最大のガッカリイベントを経た後であるにもかかわらず、フィンの額に英雄光が宿ったのである。それまでは、純然たる戦士だったクーフーリンとは異なり、責任ある立場であったせいか、戦士としてはクーフーリンほどじゃないような描かれ方だったのだ、最期の最期で戦闘者としてもクーフーリンに並んだ、ということなのであろう。なかなかエモじゃないの!!)

やれやれ系主人公は殺したら普通に死ぬ。テストに出ますよ。

 気高く尊き殺戮の王に捧ぐ、礼讃と弔辞。
 だが――〈黒き宿命の吟じ手(カースシンガー)〉と噛み合っていた紅刃が身を引き、別角度からギデオンに迫る。巨神の膂力は乗らなくなるが、〈終末の咆哮(ワールドイーター)〉は自律して動くこともできる。

 あーーーーーーーぜんぜん進まなかったーーーーー。FGOとnoteパルプキメてたらそれだけで時間が無くなったーーーーーーあーーーーーーーーー。だから土曜になるたびにまったく同じこと言ってるぞ俺。いいかげんにしろ俺。でな、あのー、あれだ、ワールドイーター氏の権能は、自律して動く鎖なんだけどさ、そのー、ヴォルさんの腕力が意味なくなってしまうくない? みたいな問題は常に感じていた。その、鎖が動くパワーよりヴォルさんの腕力のほうがずっと強いわけだが、そうなるとこう、鎖鎌を振り回してあたり一面無差別攻撃しまくっているシーンとか、たぶん鎖自律稼働権能は使われているんだけど、あの攻撃にヴォルのSTRは乗ってんのか? おん? どうなんだ? というきもちになっている。乗っててほしいのだが、物理的に考えて乗ってなくない??? じゃあそんな鎖が勝手に動くとかそんな能力じゃなくせよという話であるが、あれは「ヴォルさんはトウマには勝てる」という事実を成立させるためには必須の権能なんですよ。ええ、いま初めて語りますが〈道化師〉VSヴォルダガッダとか完全に百回やって百回ともヴォルさんが勝ちますからね。だって鎖の稼働は神経の電位差による命令伝達とかしてないから。

 

 時間切れ。

 

(そんな力関係の相手にあそこまで余裕しゃくしゃくにイキった態度を取れるトウマはマジで心臓どうなってんだという話であるが)

ようやくアンちゃんが戦ってくれる……!

あらためて見るとすごい失礼なこと言っててすみません……。このブログからバールさんの動向を追うようになった身なので、昔は「noteやtwitterを匂わせてるけどどこやねん」状態でした。たまにブログの記事内にnoteのリンクが貼ってあった際も、ブクマを忘れてリンクがあった記事が後方まで流れてまた今度でいいか……みたいなことが何度かありまして。思うに一人のクリエイターを追うのに複数ブクマすることに妙な煩わしさや抵抗があったというか。noteの会員登録はしていないので。

noteのトップページについてはバス停を短編小説の括りに入れてしまうのはだいぶ勿体ないかと。ご自身で仰っているようにバズった『機械仕掛けの墓標』よりも明らかにバス停の方が面白いです。一話で一万予四千字はちと長いですし数話に小分けにして代表作として押し出しておくべきだと思います。完結していないという欠点はあるにせよ、バス停、シロガネ、アギュギテムの三作は現在noteトップに固定している夜天より面白く、俗にいう一般受けもしやすいと感じています。どこかでバールさんを知った人間がまずこの三作にアクセスできないのは損失ではないかと。

ちなみにアンタゴニアスは未読です。まとまった時間が取れたら読ませていただきますのでご容赦を……。

 なんか突発的にブロント後を吼えたくなっただけなのでお気になさらずww あぁ、ブログが起点でしたか。以前指摘を受けて、左上のプロフィールのリンクからnoteとツイッターアカウントに行けるようにはしてたんですが、その説明をぜんぜんしてませんでいたね……なのでヘッダーにリンクつけたお!!!!!! でまぁ、バス停については、完結後に挿絵つきで完全版を投稿するつもりなので、それまでは専用マガジンとかは作らない予定です。しかしシロガネは夜天より面白かったですか。複雑なところですが、やはり最新作のほうが面白いと言っていただけるのはうれしいですねー。あ、アギュギテムもいずれnoteで挿絵付きで公開します。というか基本的にぜんぶnoteでやるつもり。でもシロガネはカクヨムでも連載しようかとは思っています。カクヨムの方の紹介文で、「note版はキュートな挿絵が多数つくよ!!」とか言ってnoteに釣る予定です。といってもnoteはルビに対応してないので、「挿絵のnote、ルビ対応のカクヨム」という感じで、完全上位互換にはなりませんが。アンタゴニアス、お楽しみください!!!! 話数から受ける印象ほど長くはないので!!!!

 

 時間切れ。

 

(主役機の初戦闘が87話なんてロボ物、どうかと思うが!!!!)

【おわり】リンク自体は悪くないと思うんですよ。ミニマルだし、不可解だから。

「その他の短編はこちら!」という宣伝臭い文句を書くべきだったと思います。【おわり】にリンクを噛ませるなどという迂遠な方法ではなく。小説投稿サイトなんかだと各話の終わりごと(!)に「よかったら評価点お願いします」「感想ください」と書いてあるような作品は書いていない作品よりもはるかに評価が伸びやすく感想も貰いやすいです。個人的にはそういった風情のないやり方はあまり好きではないのですが、本気で結果を求めているなら正しい姿勢なのかなあと。いや、まあ、個人的に本当に好きではないやり方なので、抵抗を感じるのもわかるのですが……。ともあれバールさんの宣伝努力は基本的にカッコつけてんなと常々思っています。このブログにしろツイッターにしろnoteにしろリンクしにくいですし初見から作品までの導線が薄くて本当に自作を読んでほしいのかがわからんです。

 アイエッ!? おっ、おっ、俺がどうやってカッコつけてるって証拠だよ!!!! いや、うーん、個人的に、ツイッターアー上で宣伝ツイートがあっても正直自動的に目が滑ってゆくようになってんですよね。よほど異様な単語が並んでいるのならともかく。だもんだから「その他の短編はこちら!」なんてリンク、あんま踏む気が起きないマンなのであるが、ティピカル小説読むマン諸氏はそうでもないのだろうか。アンタゴニアスの各話ラストに夜天のアドレス載せて「こちらもオススメ!」やってますけど正直効果を感じたことがないと言いますか。意味あるんかなぁ、これ。みたいな気持ちになっている。まぁ購入者がどういう導線から夜天を認識するに至ったのかが不明なので今後も続けますけど。しかし初見から作品まで行けない。これは由々しき事態である。初見ってツイッターの、アカウント画面のことでしょうかね? よく考えたら自己紹介文にブログへのリンクしかねえな。固定されたツイートだけでいっかみたいな気持ちだったけどnoteアカウントのトップページへのリンクも追加しとくかなぁ。そしてnoteアカウントのトップページには、マガジンの形でさまざまな作品への導線を用意してあるんですけどこれはどうですかね?

 

 時間切れ。

 

(まぁなんにせよこうして忌憚なく言ってくれる人がいるのは運の良いことである)