螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

月に呼ばれて淵より這い出る

 いつからだったろう。
 彼らのことを忘れてしまったのは。
 いつからだったろう。
 自分の居場所を、捨て去ったのは。




 ヴァラゴ・ガキュラカは、不思議な男であった。
 カイン神の社でうずくまり、インキュバス志望者たちの稽古風景を漠然と知覚するばかりの日々の中で、その男だけは鮮烈な色合いを持って意識に触れてきた。
 修験者らの中心で、強大なるデミクレイヴを携え、黒檀のごとく低く澄んだ声で指南を飛ばす。
 その立ち振る舞いは、優雅でありながら剛健。闇の湖面に浮かぶ月のごとく研ぎ澄まされた、存在することそのものの力を感じた。
 門弟たちへの指導がひと段落ついた際、ヴァラゴがこちらにやってきて、問答を交わすこともあった。
「この世の森羅万象は、〈かたち〉と〈本質〉によってつくられている」
 ――へえ。
「〈かたち〉とは構造である。〈本質〉とは構成物質である。我々は肉という〈本質〉に、骨格や循環や代謝という〈かたち〉を宿すことによって、生命体としての実存を確立している」
 ――それで。
「我らが志すは鏖殺である。しかし、我らの殺戮剣術は命の〈かたち〉を破壊するばかりであり、時として必殺は見込めぬものである」
 ――つまり?
「我が剣、いまだ成就せず。されど剣術という〈かたち〉が持つ構造的欠陥を正確に認識することは重要である。〈かたち〉を破壊するのみでは不十分であり、同時に〈本質〉をも破壊せねばならぬ」
 ――そんなこと、無理だろ。
「左様、これは理外の理。しかし、この世には〈かたち〉と〈本質〉が完全なる合一を遂げている事物が二つだけ存在している」
 ――それは。
「ひとつは『言葉』。いまひとつは『月の光』」
 ――……。
「若者よ。我らは、言葉のごとく斬らねばならぬ。月の光のごとく斬らねばならぬ。あらゆるエルダーの集合的無意識に刻まれたる「カイン神」という名のミームは、まさにこの〈かたち〉と〈本質〉が完璧に合一した斬撃が、かつてこの世に存在した事実の名残である」
 ――俺にはもう、縁のねえ話だな。
「ふむ、『俺』、か。自らを指す『言葉』を取り戻したようだな」
 ヴァラゴは腕を組み、頷いた。
「順調である」




 さらにひと月が経った頃。
「ぐぇっ!」
 床に叩きつけられ、身悶えした。
 ナイフが乾いた音を立てて床を転がる。
「得物を取りたまえ。私も君もまだ生きている」
 ヴァラゴはデミクレイヴを分離させ、ふた振りの刀剣として構えていた。
 漠然と、それを感じる。
「無茶言ってくれるぜ……! 俺はもう戦士としては終わったっつてんだろ!」
「それを決めるのは君ではない」
「ええい、クソッ!」
 首を伸ばしてナイフを噛みしめると、背筋の瞬発によって跳躍。空中で身をひねり、斬りかかった。
 鋼の悲鳴とともに火花が散り、直後鳩尾へ柄頭が叩き込まれる。
 再び吹っ飛ばされ、倒れ伏す。
「かはっ……げぅ……」
 胃液を吐く。
「若者よ。君は自分が不具であり、他の者より劣っていると思い込んでいるようだが、それは違う。無明月光流の社を訪れた時点で、君ほど巧緻なる殺人の技を身につけたものは、これまでにいなかった」
「だが、もう、伸びしろは、ねえよ。……ぐぅ……」
「見込みのない者をこの社に留め置きはしない。私は、君以上に君の体のことをわかっている。なにしろ君は月の光を見たのだ
 足元のナイフを蹴って、こちらによこしてきた。




 それからは、ボコられまくる鍛錬がひたすらにつづいた。
 こちらを打ちのめしながら、ヴァラゴは低く澄んだ声で謎めいた言葉を投げかけてくる。
「〈かたち〉と、〈本質〉」
「業を咥えた縁と、縁を咥えた業」
「刹那(じかん)と、極微(くうかん)」
「その奇妙な関係性」
「月とは、滅びと再生の本能を生命に植え付けたる存在である」
「月の諸相とは、二十八の永劫を繰り返してひとめぐりする螺旋駆動体である。ひとつの有情が涅槃に達するありさまの模式図である」
「月の光とは、進化を促す潮汐力である」
「エルダーはかつて、月とともに生きる民であった。我らを揺籃せし世界は、三つの月が完璧な調和を持って運行する豊かな楽土であったという」
「コモラフに、あるいは方舟に篭ることによって月の光から離れてしまった我らは、現在衰退の一途を辿っている」
「しかしそれでも、我らの血に宿れる塩基配列の中には、月特有のスペクトルに反応して構造を変える伝令RNAがいくつか現存している」
「あとはいかにしてそれらを目覚めさせるのか。その試行錯誤である」
 ――螺観法。
 ヴァラゴは、自らを意図的に「月光を浴びた状態」にシフトさせる特殊な意識操作を行っている。
 そしてそれは、肉体を意識して進化させることに繋がるのだという。
「したらどうなるんだよ。オルクみてえに手足がニョキニョキ生えてくんのかよ」
「――君は、トゥルーボーンではないか?」
「え?」
「月の光は、女の胎内で自然のままに育まれたる者のほうがより容易に観想できる。女は男よりも月の満ち欠けの影響を強く受ける存在であるがゆえに」
 実際、どうなのか?
 物心ついた頃にはすでに「      」と「   」と共にバカやってた気がする。
 ――ん?
 脳が、蠕動する。黒く濁った澱の底から、何か大切なものを取り出そうと、もがきはじめる。
 だが、わからない。俺は、なにか、忘れているのか?
「……わからねえよ。自分の生い立ちなんて考えたこともねえ」
「私はすでにほとんど確信しているがね。母の子宮に守られ、〈旧き者〉に手を引かれ、君は生命進化の道筋を体現してきたはずだ。エラやヒレが生じ、次に鱗。そして尾が伸び、やがてそれは尾骶骨にまで退化してゆき――徐々に徐々に、エルダーの形へと変わっていったはずだ。同じことがもう一度できないと、どうして言い切れようか




 ――それから、一方的な鍛錬に、少しずつ変化が現れ始めた。
 ヴァラゴの何気ない動作の数々。
 間接ひとつひとつの動き。体重移動。呼吸のタイミング。
 それらことごとくが、いかに考え抜かれた所作であるかが、だんだんとわかってきた。
 動きの全体像はゆったりとした印象すら受けるが、最低限の手数で的確にこちらを追い詰めてくる。
 寒気を催すほど精密な打突を身に浴びながら、不思議に明晰な意識を保っていた。
 ――〈かたち〉を破壊する〈本質〉。
 ――〈本質〉を破壊する〈かたち〉。
 そのどちらでもありうる攻撃。
 たとえば、単純な質量の加速による衝撃は、生命の〈かたち〉を破壊する。
 あるいは、万毒の黒き芸術ならば、生命の〈本質〉を破壊できるだろう。
 しかし、そのいずれも、殺戮の手段としては完璧ではない。
 それぞれ防衛手段は確立されており、敵の手の内を読みながら半ば博打を打つように攻撃手段を選択するしかない。
 選択。
 つまり、妥協と言い換えても良い。
 ヴァラゴが言いたいのは、そういう固定概念からの脱却である。
 ふいに、カブトムシみてーなツノが生えたアーマー着たおっさんの姿が思い出される。
 そういやあいつも選択しないおっさんだったな。
 その選択しなさっぷりときたらヤバかった。晩ご飯をバイオ・ハムタロの串焼きにするかカイメラの味噌汁にするかで悩んだあげく結局何も食べなかったというお前ちょっとそれあのー、なんかの精神疾患なんじゃねえのかと言いたくなる優柔不断さであったわけだが、あれは今にして思えば選択から逃げていたのではなく、もっと断固とした意志を持って選択(妥協)という概念と戦い続けていたのではないか。
 ゆえに、あいつの太刀筋はあんなにも鋭い。
 ……ずきりと、頭が痛む。
 あいつ。
 あいつ?
 意識の底の澱をかき回していた手が、ふと何かに触れて、止まる。
 その名。
 忘れかけていた、その名。
 そろりとつまんで、持ち上げる。
 その名。
 ヴァトハール・カダグロ。




 いつからだったろう。
 彼らのことを忘れてしまったのは。
 いつからだったろう。
 自分の居場所を、捨て去ったのは。




「言葉のように。月の光のように」
 淡く、惨く、麗しく。
 透き通り、染み入り。
 祈りのように、生と死の結合のように、苔むした深い森の底に息づく暗い玉座のように。
 ――待って、いるのだ。
 瞬間、胸の裡で、赤い弦月が、熾火のように輝き始めた。
 それは、エルダーの集合的無意識に刻まれた元型(アーキタイプ)のひとつ。太古の王エルダネッシュの武勇と偉業に対する崇敬が、やがて逆境に屈さぬ闘志の象徴となって根付いたもの。
 血の目覚め。
 回帰。
 ずぬるっ。
 と、湿った音がした。
 血と粘液が飛び散り、赤黒くぬめる何かが伸びる。
 ――きっと、待っているのだ。
 ――あいつらが、待っているのだ!
 それは毒蛇のごとく瞬発し、ヴァラゴの襟を掴むと同時にぐいと引き寄せた。
 口に咥えたナイフを一閃させる。
「おぉ!」
 ヴァラゴは恐るべき反応速度で顔を傾け、兜の曲面を刃先に向ける。
 硬質の擦過音。
 ヴァラゴの胸にを突いて跳躍し、間合いを取る――と同時にデミクレイヴの峰が直前の位置を薙ぎ払っていった。
 ひたり、と、右肩から生えたその器官を駆り、体勢を安定させる。
「俺は……」
 帰るのだ。あのアホどもの所へ。
「俺は、胸板兄貴……陰謀団〈網膜の恍惚〉の戦士、だった……」
「……見事!」
 ヴァラゴは構えを解き、満悦の眼差しで胸板兄貴を見下ろした。
「私がインキュバス・ウォースーツを着装しておらねば、今の一撃を喰らうことは避けられなかったであろう」
「お、俺は……ぐぁ……っ」
 胸板兄貴は、突如として生えてきた赤黒い腕を持て余し、のた打ち回った。
 筋肉と血管が剥き出しの右腕は、断続的に血飛沫を上げている。
 そして――
 生えたばかりの腕に、ヴァラゴは具足を踏み下ろしてきた。
「がアアアアアアッッ!!」
 臓物を吐きださんばかりの絶叫が上がる。
「月の光を観想するに至ったようだな。万感を込めて寿ごう。これこそが君の腕だ。今まで体に張り付いていた紛い物ではない、君の遺伝子に刻まれた、君だけの腕なのだ」
 そのまま、踏みにじられる。
「ぎぃ……!」
 ヴァラゴの兜の眼窩から、熾火のような眼光が覗く。
 異様な寒気を伴う眼力だった。
「さて――痛いだろうか。苦しいだろうか。屈辱に身を震わせているだろうか」
「て、てめえ……何を……ッ」
「そうだ。それでいい。許すな。君の目の前にいるこの男を許すな。この男の行いを許すな。この男の言葉を許すな。この男の生存を許すな。自分に屈辱を与える存在を生かしておいてはならない。殺すのだ。さもなくば戦士ではない
 ひときわ強く踏みにじると、ようやく足が上げられる。
 殺意、というにはあまりに冷めていた。
「……さて、つづきをやろうか。本気で、な」
 それは、ついて来られぬようならば死んでも構わぬという、本来の姿勢での修練が始まったことを意味した。
 残るは、左腕、右脚、左脚。
「いいぜ、やってやる……!」
 胸板兄貴は、いまだ激痛を発する赤黒い腕で床を踏みしめ、ナイフを噛み締める。
 ヴァラゴは、デミクレイヴを一振りの大剣として構えた。
 あたかもその場に要塞が出現したかのような、重厚な威圧感があった。




 それからの日々は、胸板兄貴にとって間違いなく最も過酷な日々であった。
 左腕が生ずるまでに、三百八十五回の嘔吐、五十八回の気絶、七回の骨折、千回を越える流血。
 ――この、痛み。
 胸板兄貴は、想う。
 しくしくと軋みを上げ、痙攣する、生えたばかりの左腕を。
 ――生きてる痛み、だ。
 歯を食いしばる。砕けんばかりに。
 ヴァラゴは、あれ以来隙を見せず、逆に胸板兄貴の苦痛を吸収してさらに強壮になってゆくばかり。
 だが、それでも。
 紅き月が燃えていたのだ。
 たとえ何度生死の境を彷徨おうとも。
 進むべき道が、はっきりと見えていたのだ。
 いかなる苦痛や絶望をも踏みにじり、欲するものを奪い取る。
 それがダークエルダーの戦士というものだ。
 ――あぁ、俺は欲している。
 全てを思い出した胸板兄貴は、切実に、猛烈に、哀しいほど、痛いほどまでに、帰りたいのだ。
 ――おっさん! 女獄長! 三馬鹿!
 そしてその他の阿呆どもよ!
 また、お前らに会いたいのだ。
 その想いが、マジで燃えてやがるのだ。
「ヴァァラァァゴォォッ!!」
「来たまえ。その激情はすべて受け止めよう。そして最後まで付き合おう。そのためにこそ、私は在るのだ」





 ――数ヵ月後。
「どうだい、もうアンタに見下ろされることもないぜ」
「うむ」
 ヴァラゴは、重々しく頷く。
 胸板兄貴は、両の脚でしっかりと床を踏みしめながら、対等の目線で無明月光流筆頭師範代と向かい合っていた。
「重畳なり。それでは最終試練を執り行うとしよう」
「最終、試練?」
 確かインキュバスの認定試験は、エルダーのエクサーチを一騎打ちで殺すことだと聞いているが――
「否、君はインキュバスになるつもりはないのだろう。別の試練だ。……入りたまえ」
 社の大広間につづく扉が、軋みを上げて開き始めた。
 そこには、思い思いの武具を携えた、戦士の集団がいた。
 胸板兄貴は、一瞬にして彼らの武威のほどを察する。恐らく、全員が陰謀団の中で高い地位に付けるだけの実力を持っている。
「これらの猛者を、君一人で屈服させるべし。殺しても構わん」
「なに――」
「始め」
 反射的に、胸板兄貴はナイフを抜き放った。逆手に構える。
 戦士たちも、素早く携行火器を構え、胸板兄貴をポイントする。ブラスターやシャードカービンなど、ただのウォリアーには手の届かない強力な銃器ばかりであった。
 大気が、凝固する。
 胸板兄貴は、自らの両脚を撓め、ぐっと低くスタンスを取る。
 そして――
「……ふ」
「へへっ」
 かすかに漏れる失笑。
 双方、武器を納めた。
 胸板兄貴は、黒金のカバライトアーマーを着装した九人の戦士に向けて、無警戒に歩み寄った。
「あれからどうしてたんだ?」
「ヴァラゴ師範代に拾われて、みっちりこの手足の使い方を叩き込まれてやした。それから九人で傭兵としていろんな陰謀団に身を寄せ、兄貴を探しながら金を稼いでやしたよ」
 九人は、続々と兜を脱ぐ。現れたのは――なんだか懐かしさすら覚える舎弟たちの顔。
 目には不羈なる力が宿り、装備や戦闘技能だけでなく、心構えにおいても大きく成長していることが伺えた。
「へぇ、ここではお前らの方が先輩だったのか」
「よしてくだせえ。ほら、兄貴の分もちゃんと用意してますぜ」
 投げ渡されたブラストピストルを掴み、鞘に包まれた剣型アゴナイザーを腰に佩く。
「よぅし――」
 首をコキコキ鳴らすと、胸板兄貴は太い笑みを浮かべた。
「そんじゃまぁ、帰るか!」
「「がってん!!」」
「合格、也」
 低く澄んだ声。
 ヴァラゴは、しきりに頷いている。
「真実に気づかず、あのまま舎弟たちに襲い掛かっているようなら、月光の観想は不完全であったと見なし、容赦なく撃たせるつもりであった」
 さらっと怖いことを言う。
「よく耐え、よく学んだ。今の君たちに討ち果たせぬ敵は、この銀河に数えるほどしかおるまい。そのすべての力を用い、百万世界に流血の戮道を拓くべし。――文句なく、卒業だ」
 力強い、その激励。
 胸に燃える紅い月が、一層激しく燃え上がった。
「その……今まで、ありがとうございました」
 胸板兄貴は、恩師に向け、深く頭を下げた。
 生まれて初めて、敬意という言葉の意味を知った。
「「ありがとうございやしたー!」」
 舎弟たちも一斉に頭を下げる。
「あんたに出会えなかったら、俺……」
「君たちと過ごしたこの一年は、私にとっても意義深い日々であった。剣の道のみには生きられぬ戦士を育てたる経験は、我が殺戮の修験に新たな着想をもたらしてくれるであろう」
 かすかに微笑む気配。
「誇らしい、というのは良い気分だな。若者が胸を張って旅立つさまは、何度見ても心が洗われる」
「師匠……」
「「師匠ー!」」
 そこへ、黒金の船舶がゆっくりと降下してくる。舎弟たちが傭兵稼業の中で手に入れた、特注レイダーである。

「良き虐殺を。胸板兄貴よ」
「はい……師匠。お元気で!」
 胸板兄貴と舎弟たちは、レイダーのへりにつかまった。
 反重力エンジンのかすかな駆動音がコモラフの淀んだ大気に染みわたってゆく。
 ――今帰るぜ、みんな!




 ――つづく!!