螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

しかし本作の大衆、付和雷同しすぎなように思う

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 ただしこの傾向は最初からではない。1の主人公は分身型主人公であり、キャラクター性のようなものは非常に希薄だ。そして2は残念ながらやってないのでなんともいえない(PSPでリメイクされたの買おうかなと思ったけどなんかロードめっちゃ長いとかいうレビューを見て思いとどまってしまった)。やはり3はいろんな意味で現在のペルソナシリーズの特色を決定づけた記念碑的作品であろう。しかし本シリーズの面白いところは、明確に、そして徹底して、憧憬型主人公を描いている点である。これ、他にはなかなかないのではなかろうか。主人公っつったら猫も杓子も感情移入!!!! 共感!!!! これができない主人公は全部クズ!!!! みたいな空気がまかり通ってるじゃないですか。俺は共感できない主人公もアリだと思う口ですが、まぁ、そう考えない人の方が圧倒的に多い。そんな中、徹底的に冷静で強くてイケメンな主人公を描き続ける本シリーズの特異性を俺は非常に高く評価している。そしてそれが嫌味になってないのがスゴイ。なんなんだろう。普通は鼻につくはずなのだ。どっか弱みとか付与してないとダメなはずなのだ。だが実際にプレイすると「いけすかねー」なんて感情は一切起こらない。これは何故なのだろうか。

 

 時間切れ。

 

(しかし5の主人公はそれまでとは比較にならぬほど人生ハードモードである。名前は「諏訪原篤」にした。……篤と絶無は俺がなんか新しいゲーム買うたびにわけのわからん異世界に転生させられて大変だなぁ(他人事))