螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

うだうだ言ってないで夏侯惇!!!!!!

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復讐を壮大なカタルシス(感情浄化)であるとすればそこに有意味無意味の介在する余地はないのではないか。その心が止まるとすれば、それ以上のカタルシスや幸せがあると信じられた時なのではないか。

  ひさびさにコメントいただいてうれしいヤッター!!!! で、まぁ、「それ以上のカタルシスか幸せ」ですよ。なんか主義主張に関しては、総十郎が「それでは無理だ」と論破した。しかしではどうすればいいのかということまでは総十郎は示せなかった。そして改心において中心的な役割を果たすのは、フィン少年とシャーリィ殿下と第二の敵役である必要があった。だが、「それ以上のカタルシスか幸せ」。それとどう提示すればいいのか、そこに躓いているともいえる。カタルシス――つまり、ある意味で復讐は完遂させてしまうというプランを思いつく。第三の敵役が当初予定していたものとはまったく違った形で、復讐が成し遂げられ、怨念は解消する、と。しかし、違った形の復讐は、当然「王国を滅ぼす」などよりも穏当な結果でなければならず、かつ彼の復讐心を満足させたという説得力もなければならない。そんな方策があるのだろうか。だっておめー、復讐っつっても、この作品、特に誰も悪くないんですがな。復讐心を向けるべき特定個人がいるわけではない。第三の敵役が憎んでいるのは、もっとこう、(と、本当はもう少し続きを書いていたが、ネタバレになることに気付いてやめるの巻であった)

 

 時間切れ。

 

(ところで『ジュラシックワールド 炎の王国』を見たのだった。歯抜きおじさんがアホだった。あと3D映像で座席が動いてめっちゃ蒸気出る感じのアレで臨場感すごかった(粉みかん))