螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

しかしリプリ氏のこの攻撃自体はめっちゃかっこいいと思う

 さて、ギアラドゥナである。奴の願いと矛盾と止揚はいかなるものであったのか。えー、とりあえず願いは「死にたくない」、なのか? しかし、人間、生きている間に「死にたくない」などという願いを狂念の域にまで高めたりするものか? 人は己の死を実感として信じることができない、という話である。だからもうちと違うものなのではないか? 死後概念の否定である。あのーつまり、自分自身が死にたくないとか生きたいとかそういうことじゃなくて、死後の救いに望みを託して生きている連中を否定したかったのではないか。いや、なんだろう、これは俺の心情に寄せすぎであろう。あのー、『オーシャンまなぶ』で、対リプリ・キデルス戦で、なんかリプリ氏が「死後の世界を認めないのであれば、死は究極の恐怖であり、まさにその事実によって今お前は死んでいなくてはおかしい。お前の生存自体が、信念に殉じていないお前の腰抜けなありようを証明しているのではないか?」というような攻撃を放ち、主人公まなぶ氏は大ダメージを受け、観客まで次々と血を噴く惨事となったが、しかし俺はこれにちょっと違和感を覚えるのだ。

 

 時間切れ。

 

(俺はぶっちゃけ死後の世界など存在しないと思っているが、しかしだからといって死が究極の恐怖とするのはなんか違和感があるのだ。だって「無」を恐ろしいと感じる主観がそもそもないのだから、別によくね? って思うのだ)