螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

やっぱ銃より刃物が好き

「テーマ」
 変わる必要はない。だが自覚しろ。

「ストーリーの構成」
 パート1:正直、それまでの本編で十分すぎるほど描かれているので省略可能であろう。
 プロットポイント1:総十郎との戦闘訓練開始。
 パート2:果敢に挑みかかるも、かすりもしない。
 ミッドポイント:レガリアから一瞬だけ記憶の流入が起こる。自分はレガリアをまだ使いこなせていないと気付く。
 パート3:重量変化の権能を試行錯誤して応用しはじめる。
 プロットポイント2:総十郎の言葉によって、自分の肉体と精神に余計な力が込もりすぎていることに気づく?
 パート4:相変わらず総十郎にはかすりもしなかったが、風圧で帽子を飛ばす。おや、と意外な顔をする総十郎。

  そうゆうわけでストーリー構成の部分を読みながらとりあえず仮組みする。まぁ、このほかにピンチポイントだかなんだか、いろいろあるんだが、それを盛り込むのは後だ。えー、で、正直なところ本書で述べられている構成は掌編小説にも適用可能なのか? という疑問はある。まぁとりあえず最後までやってみよう。で、『ザ・ウォーカー』見た。この世に残った最後の聖書を持つ男が、ポストアポカリプス世界で突っかかってくるアホを殺しながら聖書を託すに足る地を求めて旅をするわけであるが、おや、と思ったのが敵役の造形だ。普通、こういう世紀末ヒャッハー世界の敵っつったら「文明とか規律とか知らねぇー! アナーキー最高! 皆殺し!」みたいな、ジード軍団が大半だと思われるが、本作の敵はアライメント的に言うと「秩序・悪」なのである。混沌渦巻く世界で、秩序のもとに独裁者をやっているのだ。そして聖書の持つ力を正しく理解し、「それは世界を統べうる力を持つ」として執拗に付け狙う。そういう認識に立てる知性と教養を北斗の拳世界で維持しつつ悪党どもを統べているのだ。なかなかレアな敵ではなかろうか。しかしそれでも悪役なので、まぁ悪いことをしなければならない。ヒロインの母娘に暴力振るったりな。

 

 時間切れ。

 

(しかし、そんなことをする必要があったのだろうか? あくどいことをしつつも世紀末世界に秩序だった人類居住圏を作り上げた海千山千の男、というだけではダメだったのか? ラストに出し抜かれて聖書を手に入れ損ねるが、そこで即・破滅、とはならず、相変わらず自分に従う部下の前で「俺は諦めんぞイーライ! 聖書の力に頼らずとも人類を再び繁栄に導いてやるッ!」とか吼えるラストではダメだったのか? 敵は悪でなければならないのか? 敵は破滅しなければならないのか? 世のエンタメ映画の大半はそういう構造になるが、その理由はなんだ?)