ぜんぜんわからない。ぜんぜん前世からわからない。君を探してもいない。
「その気持ちは、きっと大切なものだ。正義のために生きること。自分のために生きること。多くの局面で矛盾するこの二つの指針を、それでも止揚しなくてはならない。妥協して折り合うのではなく、そのどちらも活かし、互いが互いを高め合える。そんな統合が必要なんだ」
「歪律領域(ヌミノース)のように、でありますか?」静謐な目の少年は、ゆっくりと首を振った。
「君はきっと、歪律領域(ヌミノース)に覚醒するには執着が足りないと思う。だけど、小世界になら至れるかもしれない。統合を行うのは「己と外界」ではなく、「己の中の二つの信念」だ。君は二つの想いを二重螺旋に縒り合わせながら、新たな命として目覚めなくてはならない」
「二つの、想いを……」胸のうちのままならぬ何かを、必死に押し殺しながら、それでもフィンに手を伸ばし続けた、二人。
どちらの救いが正しかったか――なとという問いは意味がない。答えなど出るはずのない問いだ。
そうではなく、二つともが不可欠の要素として組み込まれた悟りでなくてはならない。
――それは。「……救われるために祈るのではない。祈ることが救いなのだ」
つまり、シロガネ世界にしか存在しない歪律領域を絡めて疑似的に黄金錬成を発動させようというわけだ。んで? どういう悟りにすんの? 最後のセリフ何? 誰が言ってんの? フィン少年の発言であるが、たぶん、故郷の世界の宗教関係の偉い人が言った言葉なんじゃないかなと思うんだが、ええと、これがなんだっつーんだよ。ぜんぜんわからん。俺は雰囲気で小説を書いている。ええと、正義のために生きること。自分のために生きること。これをどう止揚するか。止揚とは妥協ではない。この点は重要である。正義のために生きるからこそ、真に己のために生きることができ、また、己のために生きるからこそ、真に正義のために生きることができるのだ。これをどう表現するか。たとえば、前半で総十郎が言ったように、「君が守る対象に君自身も入れてあげてくれ」という意見はかなり正解に近いような気がするが、しかしそれをここで持ち出して結論とするのは、二番煎じ感が否めない。もっと高次の悟りでなければ、黄金錬成発動という奇跡には説得力が生じない。この二つのテーゼが一見対立してしまうのは、自分と他人の片方しか助けることができない場合がありうるという理由による。この場合において二つのテーゼを高次的に満たせる悟り。
時間切れ。
(なんだ? ぜんぜんわからん)