螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

まるで俺がガチ勢みたいな書き方だな……!!

 『ペルソナ5』引継ぎなし最高難易度プレイもいよいよ第四部メジエド編に突入したわけだが、ここにきて恐れていた事態が表面化してしまったかもしれない。なんか優しくなってる気がする……! まぁ、できることが極端に少ない序盤が一番きつく、その後主人公たちが強化され、可能な行動が増えてゆくうちに相対的に難易度が下がるというのはゲームあるあるなのだが、いやしかし、第三部の金城編には特にそんな印象は受けなかったというか、第二部班目編より明らかに死んだ回数は多いような気がする。だが第四部ではいまのところ一切苦戦をしていない。今後どうなるかは予断を許さない状況である。しかしなんだな、ゲームで序盤が一番きついという現象はなぜ頻出してしまうのだろうか。俺はこの理由がよくわからない。やはり後ろに行くほど難易度は上がってほしいので、これはレベルデザイン上の欠陥であると認識するしかないのだが、なぜそんな欠陥が頻出してしまうのだろうか。敵を強くするなんて数値いじれば簡単なはずである。仮説1、実は別に序盤が一番きついゲームは言うほど多くないのだが、そういうゲームだけやたら印象に残ってしまうためになんかいつもそうなような気がしてしまう説。仮説2、作り手側が想定しているのはゲームガチ勢ではなくカジュアル勢であり、「序盤が一番きつかった」とぼやいてんのは声のでかいガチ勢だけである説。

 

 時間切れ。

 

(実際にはその複合か? 他には、「序盤が一番きつい」こそが製作者の想定するレベルデザインである説もある。主人公が強くなったことをプレイヤーに実感してもらうためだ。だが俺は強い敵を望む……!!)

戦闘BGMがボーカルつきで超熱い

 ぬぬ、これはちょっと気になるな……。月四千円くらい払ってもいいけど、なんかこう、アジェンダインバウンドエビデンスな文章ばかり出てきて俺のようなボンクラオタクは場違いなのではないかという気がしている。うーん、どうしよう。そもそも世間一般で面白い文章というのは、要するに役に立つ文章のことなのである。俺のような、役に立たないことにしか興味がない人間が参加して、果たして成果を得られるものなのだろうか。まぁとりあえず試しに参加してみて、合ってなさそうだったらやめればいいかという思考もある。しかしこのサロンが小説書きオタクを果たして歓迎するのかと言う問題もまた残っており、なんとも、悩ましい。あー、で、まー、『STARLIKE』第二話を進める。【悲報】ゼツム氏、死す。いや、単に負けてゲームオーバーしただけだけどさ。なんだ、ハムスタア(現実のハムスターとは別種の生き物です)たちは、闘技用に訓練された中でもすごいやつは「星奮」と呼ばれる特殊能力を習得する。まぁ要するに宝具ですな。で、ゼツム氏はなぜかまったく訓練を積んでいない普通のハムスタア(現実のハムスターとは別種の生き物です)にも関わらず最初から宝具を持っているのだ。

 

 時間切れ。

 

(この宝具を切るタイミングが早すぎた気がする。相手の宝具に合わせて使わねば……)

けっこう胸を揺さぶられた

 この記事に惹かれて『STARLIKE』を衝動的に購入してしまった。うおおお、これは、熱いじゃないですか!!!! 第一話をプレイし終えたが、なんかこう、落差がすごいゲームだ。最初は、あぁ、ほのぼのとした人情的ストーリーが始まるんだなぁ、と思いきや、実は……!!! すごく俺好みの物語だった!!!! いやー、ええわぁ、すげぇええわぁ。まぁなんか、ハムスタア(現実のハムスターとは別種の生物です)が主人公で、名前を決められるので「ゼツム」にしましたが、まぁ奴のキャラを考えると初期武器は殺意高い待ち針一択でしょうというわけで、いきなり遥かに格上の相手と戦わされるハメに陥るゼツム氏であったが、なんかこう、負けイベントではないのですな。とにかくどうにかして相手に勝たねばならない。その過程の描き方が非常に秀逸と言いますか。ゲームと密接に関わりあった作劇と言いますか。これはストーリーだけを追うモードもあるのですが、いやそれはもったいないだろうこれは!!!! やはりプレイヤーに関わらせることが没入感を高める最上のスパイスと言いますか!!!!

 

 時間切れ。

 

(『閃の軌跡3』のあまりのヌルさにトラウマになっていた俺は、今回難易度を「難」にして始めたが、これが大当たりだった。逆境の中で血塗れになりながら雄々しく立ち向かうその姿は美しかった。さぁここからスーパー殺伐ハムスタア(現実のハムスターとは別種の生き物です)ゼツム氏の快進撃が、始まる、のか?)

あごごごごごご

 『タイタス・グローン』を頑張って四分の一すぎぐらいまで読み進める。あぁー、なんかこう、非常に解像度の高い物語であり、悪く言えばテンポは悪いのだが、ゴーメンガースト城内部の対立や確執が徐々に理解されてきて、求心力は高まりつつあるような気がする。しかし相変わらず主人公のタイタス氏はばぶばぶ言ってるだけで何もアクションは起こしてくれない段階であり、というか四分の一を過ぎてもまだ彼の命名式がやっと終わったかというところであり、いったい彼が喋って、主人公として能動的に行動してくれるまで俺はどこまで待てばよいのだろうか。このペースでは三部作が終わってもまだばぶばぶ言ってるようにしか思えないが、さすがにそれでは話として破綻しているので、どこかで時間が飛んでくれるのを期待するしかない。で、えー、えーとな、『ペルソナ5』、無料DLCというものがあってな。なんかこう、『ペルソナ1』の主人公たちの制服にきがえることができたりする感じのDLCを使ってみたわけがだ、なんだ、戦闘BGMが1のそれになるという効果まであるとは思わなんだ。ここで言う1とは、PS1で出た元祖『女神異聞録ペルソナ』ではなく、PSPでリメイクされた『ペルソナ』の方だ。

 

 時間切れ。

 

(まぁそうゆうわけで? 制服と言うことは必然的に? 戦闘シーン中、初めて女性キャラたちがスカート姿を披露してくれることになるわけで? ほほう、それはそれは、なんとも興味深いですなぁ、アクションが非常に激しいですからなぁ、オヤオヤオヤ、みたいなことを思っていたのだが、奴ら下にスパッツはいてやがる……っ! 違う! そうじゃない! そういうことじゃない! 中身を見せろと言っているわけじゃない!! ただあのー、あれだ、見えないなら見えないでいいんだ!! だけどな! 「なんかスカートの中は暗い影になってて中の確認はできない」という風にしてほしかったんだよ!! なに、スパッツって!! ふざけるな!! 夢も希望もねえ!! ならスカートはいてんじゃねえよふざけるな!!)

ばとるがかっこよかった(脊髄感想)

 『レイゼロ』最終話まで見る。ああー、やられた。これ俺が『シロガネ⇔ストラグル 帝国編』でやろうとしていたテーマを先にやられてしまった。まぁいいや。いやしかし、なんだな、中盤で主人公のユウト氏はある惨劇を目の当たりにし、表現規制派に対して怒りをたぎらせてしまうのであるが、いやそれ自体は自然な感情と言うか、あんなことされてムカつかねえ奴はいねえ!! ってなものなのであるが、序盤の「表現規制派も、俺たちも、ただ気に食わないから相手を攻撃しあっているだけだ。そこに道義的な優劣なんかない」という立場にこそ、俺は衝撃を受けて痺れていたのであり、そうゆうのを捨てて、完全に表現規制派の敵になってしまったのが、まぁ俺個人の感覚からすると残念だった。いや、表現規制派へのヘイトを集めるに十分効果的な作劇と演出であり、俺自身もユウト氏の怒りに共鳴はしたのだが、あー、これで完全に「理不尽な表現規制派と戦う主人公」という、悪く言えばありきたりな構図になってしまったなぁ、と。なんというか止揚がないわけですよ。表現規制派が悪で、自由な創作者が善であるという、そうゆう二元論に落ち込みかけてしまった。

 

 時間切れ。

 

(ただし、この問題が表面化する前に、メイン敵役であるジョシュア氏の主張が炸裂して、まったく別の対立軸にストーリーがシフトしていったため、ありきたりな印象はなかった。良い作品だった。素晴らしい。だけど表現規制派もまた、なんかこう、我々には計り知れないR.E.A.L.な世界観を持っていたはずであり、そこは描かれずただ「否定されるべき人々」に落とされてしまったのが残念だった)

主人公の新スタンドカッコイイ(脳を使わない感想)

 つまりなんであるか。我々オタクは、常に表現規制に対して否の立場を取り続けてきた。「いやなら見るなバーカ」である。その気持ちは今も変わっていない。変わっていないが、この主人公を見て、新たな思考が芽生える。「私の気に入らないコンテンツはこの世から抹殺するザマス!!」とかほざいてんのは疑いなく幼稚な不寛容さの産物でしかないが、しかし、それは「うるせえ!! 人の気持なんか知るか!! 俺は俺のスキを表現する!! その結果どれだけ人が不快になろうが知るか!! いやなら見るなバーカ!!」という言説と比べて、果たして優劣のあるものなのか。どちらも救いようのないポジショントークであり、ただの説得可能性のない感情論であり、そういう議論を丁々発止とぶつけあってんのは幼児の喧嘩と何が違うのか。つまり、後者の主張が前者の主張より絶対的に正しいとする根拠が果たしてあるのか。たとえば、「人が嫌がることをする」のは疑いなく悪いことだ。では「人が嫌がることをする」のと「人が嫌がるコンテンツを発信する」ことの差はどこにあるのか。明白な違いは「目的」である。

 

 時間切れ。

 

(人の嫌がるコンテンツを発信している奴は別に嫌がらせるために発信しているわけではないのである。悪気はないの!! 許してあげて!! いや許されていいのか? 動機の違いなんてどうでもいいのでは? 問題なのは「人を不快がらせた」事実であって、行為者の頭の中がどうであるかなんて考慮すべきではないのでは? という考えに対して、俺は明白な反論を行えないでいる)

主人公のスタンドが好き

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 というわけでね、もうね、これね、もうね、いやぁ、この、これ、これ!!!!(言語中枢麻痺) 素晴らしい……美しい……崇拝不可避。というわけでとうとう投下がはじまってしまったわけだが、はてさてどうなることやら。あー、えー、それで、なんとなく『レイヤードストーリーズゼロ』が無料配信されていたので見てみる。四話まで見たが、思ったより面白い。まぁなんか、表現規制というものについて真正面から切り込んだ作品だ。なんかこう、ホログラムがすごい勢いてバーチャルなアレな世界であり、なんか「気に入らないコンテンツ」を見かけたらその場でバッテン形作ることによって、こう、ヴァルナカウンターなるものが上昇し、一定以上上昇しすぎたアカウントは削除されて社会的に死ぬ。なんかそうゆう世界で、「いやそんなんおかしいよ! 表現者が委縮してありきたりなものしかできないなんて間違ってるよ!」と主張する人物はいるのだが、主人公の立ち位置はそうではないのだ。普通、こういう題材なら主人公を表現規制反対の立場に据えるものだと思うのだが、そうではないのだ。かといって表現規制反対派を敵視しているわけでもなく、「やりたいならやれば? 手は貸さないけど」ぐらいの距離感なのである。

 

 時間切れ。

 

(これがなんというか、作品の結論がいかなる方向に落着するのか読めなくて、なかなか続きが気になる作品だ)