螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

備忘録

 アクションシーン、中でも登場人物が戦うシーンは作品全体において華となることが多い。最も典型的な非日常であるがゆえに、最も盛り上げやすい要素のひとつだ。これを習熟すれば創作活動において大きな力となることだろう。
 いかにして良いアクションシーンを描くか。これまでの創作経験を通じて、私なりの方法論をまとめた。


1、主題
 何はなくとも主題を決めなければ話にならない。ここでいう主題とは別に難しいことではなく、要するに「その戦闘シーンで読者にどういう種類の感動を抱かせたいか」という目的である。これをはっきりさせずに「ただ戦いを描く」としか考えずに執筆しては、どうしても散漫で無意味な戦闘シーンになってしまいがちである。それでも、戦いという現象の根源的な性質として、「派手でかつ眼を引く」ので一見読者のつかみにはなるかもしれない。しかし、世間一般においてアクションシーンが「野蛮で低俗なコンテンツ」という眼で見られてしまっている最大の原因は、この無意味で無目的な戦いが多いためではないかと私は思っている。
 さて、例えばどんな主題があるだろうか。いくつか例をあげるなら、「強敵とのギリギリの死闘で心を燃え上がらせたい」「気に喰わない相手を薙ぎ払ってスカッとさせたい」「ミステリー小説のごとく緻密な論理的駆け引きで知的興奮を覚えさせたい」「主人公の強さを印象付けたい」「敵の強さを印象付けたい」「過酷な闘いで悲壮感を与えたい」などなど。もちろんまだまだあるのだろうが、すぐに思いつくのはこんなところだ。実際にはどれかひとつの主題を選ぶのではなく、いくつかを複合させてシーン全体の目的と成すのが普通だ。
 また、「その戦闘シーンは物語全体においてどういう意味を持つのか」ということも決めておく必要がある。「その戦いで登場人物は何かを失い、それが今後の動機となる」「その戦いで登場人物の心情に変化が訪れる」「その戦いで登場人物は何かを得、それが動機を満たす鍵となる」「その戦いをすることで登場人物の動機が満たされる」などなど。このような意味を持たない戦闘シーンは基本的に入れないほうが良いだろう。ロールプレイングゲームの戦闘のごとくに、遭遇と撃退を機械的に繰り返すようなことだけはしてはならない。
 主題決めは、戦う人物の動機と密接に関わっている。当人の動機がなかったり希薄だったりすると、それだけで戦闘シーンは無意味・無目的なものになってしまうだろう。


2、設定
 広い意味での戦いの状況設定である。時や場所、人物の配置、各々の戦闘技能など、戦況に影響を与える要素は事前に決めておくのがいいだろう。というのも、独創的な戦闘を描くには、素材のレベルからよく考えられたものを用意する必要があるためだ。
 特に戦う人物の戦闘技能を奇抜なものにすると、それだけで読者を引き込む求心力になる。武器を使うのならそれもひと工夫すべき。また、武器にしろ技能にしろ、その作品全体の主題と絡めた意味をもたせるとなお美しい。
 これらは、小説という題材においては小手先、表層の技術に過ぎない。しかし、表層であるがゆえに目に付きやすいのも事実。作品が他とは一味違うものであることを即効的に読者にアピールできるチャンスだ。手は抜けない。


3、筋書き
 上の主題と設定を踏まえたうえで、具体的にどんな戦いを展開させるかを決める段階。そのシーン全体の骨格となるべき、非常に大切な要素である。ここで最も重要なのは、展開に山と谷をつけることだ。どれだけ高い文章力で美しい戦闘描写を書き連ねても、同じような戦況が延々とつづいていたのでは飽きられてしまう。マンガやアニメでは、画的な迫力によってある程度力押しが可能だが、小説ではそれができない。どうかするとすぐに読者は読むのをやめてしまう。短くさらっと終わらせるつもりならともかく、ある程度の分量と労力を割いて戦闘を描くのなら、緩急のついた緻密な筋書きは必要だ。
 さて、緩急とはなんだろう。
 要するに、状況になんらかの変化をつけるということ。一番一般的なのは、戦う二者のうちどちらが優勢なのかを逐次変化させることである。これは数多くの優れたアクション作品で採り入れられている手法であり、間違いのないところだ。「最初は敵役が優勢だったが、奇抜な方法で主役が優勢に立つ」という一連の流れを、戦闘シーンを組み立てる上での単位にしてしまってもいいくらいである。基本的に一単位でことは足りるが、より激しい戦いを演出したいのであれば、もう一往復させて――つまり「最初は敵役が優勢だったが、奇抜な方法で主役が優勢に立つ。しかしさらに意外な手段で敵役が逆転し圧倒、なおまた主役が度肝を抜く奇手で主導権を取り戻す」というような展開にするのだ。
 ただ、やりすぎは良くない。あまり往復させすぎると読者は慣れてしまって、緩急を緩急と感じてくれなくなる。どんなに長くても四往復くらいで終わらせておくべきだろう。長ければよいというものではないのだ。たとえ一往復だけであっても、文章力次第で激しい戦いは演出できる。
 また、緩急をつける方法はそれだけではない。会話をはさんでみたり、人物の心情に変化をつけてみたり、場所や天候や観衆(いれば)の様子を変えるのもいいだろう。そういうささやかなことの積み重ねが、マンネリを解消する助けになる。
 緩急の話はこれぐらいにして、もうひとつ重要なことを。
 それは、登場人物の行動のすべてに、大局的・戦術的な意味をもたせることである。たとえばテレビアニメなどで、どれほど追い詰められていても必殺技ひとつで即逆転勝利! というような展開を見て、「お前それなら最初に必殺技使えよ!」と突っ込みたくなったことはないだろうか(実際には「しょっぱなに出された必殺技は破られる」というジンクスがあるのだが……そんなことはこの際どうでもいい)。
 この種の不合理感は、戦闘シーンの中で「勝敗には影響を与えない無意味な攻防」が存在しているために発生するものである。「無意味な攻防」は、単に無意味であるばかりでなく、戦いを間延びさせ、緊迫感を損ない、緩急の効果をも薄れさせてしまうことが多い。
 くりかえすが、戦闘中の登場人物の行動はすべて勝敗の伏線であるべきである。「さっきから腹ばかり攻撃していると思ったら、実は敵の注意を下に向けさせて頭への一撃を確実に当てるための行動だった!」「さっきからよけもせずに魔力弾を浴び続けていると思ったら、実は攻撃の魔力を吸収して反撃の力を蓄えていた!」「さっきから無意味に周囲を走り回っていると思ったら、実は地面に結界を描いて敵を閉じ込めるための手段だった!」などなど、たとえがワンパターンで申し訳ないが、意味を持たせるとはそういうことである。
 ただ、「無意味な攻防」もまったく使いでがないわけではない。独創的でカッコイイ戦闘行動を描ける文章力の持ち主であれば、たとえ「無意味な攻防」であっても、調味料のようにシーンの中に散りばめることによって、戦闘のカッコよさや美しさをさらに引き立てることもできるだろう。ただし、あくまで調味料。頻度は抑えるべきだ。
 とにかく、読者の予想を上回る驚くべき展開を用意するよう常に心がけるのが、筋書きの段階での基本姿勢なのである。


4、執筆
 実際に本文を書く段階。戦闘シーンの面白さは、筋書きの段階で半分以上決まってしまっているようなものだが、だからといって手は抜けない。
 ここで気をつけるべきは、「なるべく簡潔に、わかりやすく、読者に想像の余地を与えない」文章にするよう意識しておくことである。
 簡潔でわかりやすいのはともかく、想像の余地を与えないとはどういうことか。
 つまり、誰に読ませても同じ状況を想像してもらえるよう、はっきりきっちりと描写を書き込むことである。せっかく戦闘シーンで高度な攻防が展開されていても、それが読者に理解してもらえなければまったく意味がないのだ。
 ここで矛盾を感じる人がいるかもしれない。
 はっきりきっちり描写を書き込むことと、簡潔な文章を心がけることは、矛盾するのではないのか――と。
 確かにその通り、両者には食い違いがある。「どちらかを優先させる」か、「両方を折衷させる」か、その判断は作者の個性にゆだねられる。しかし、それでもなるべく「両方を優先させる」努力はすべきだ。そうやって思い悩みながら文章を書き連ねることが、文章力を向上させる一番の近道なのだから。
 また、一般的に「戦闘シーンはスピード感があるほど良い」という論が信憑性を得ているが、これには異を唱えたい。
 確かにスピード感のない戦闘シーンは展開が遅くて鬱陶しいが、逆にありすぎても描写がスカスカになって味がなくなってしまうように思う。
 スピード感が決定するのは、戦闘シーンの「優劣」ではなく「性質」である。速めにするか遅めにするかは、これも作者の個性が判断することではないだろうか。


5、推敲
 最終段階。別名・見直し。
 ……と、言ってもこの段階では戦闘シーンならではの注意点などは特にない。他のシーンと同じく、誤字脱字はないか、矛盾する言い回しはないか、わかりにくい言い回しはないか、よりカッコイイ言い回しはなかっただろうか――といったことに気をつける。