過去の文章、発掘更新その1
コラム「社会経済」
数年前から誰しもが提唱し、既に定着しているようにも思える自然災害、地球温暖化。
これは熱を保有し、留めるという効果を持つ二酸化炭素が大気中に存在する割合が上昇しているために起こっているものだ。
世界中の森林が減少し、光合成による二酸化炭素から酸素への還元が間に合っていないという状況がその背景にある。
何故そのような状況が出ているのか。
それは、近年上昇しつづける紙の需要、それに尽きる。
オフィスでは印刷物の裏面を使う、印刷物をデータ化する、などの処置を行い始めているところもあるが、既にそれだけでは間に合っていない。
ならばどうすればいいのか。
家庭だ。家庭も紙を節約する必要があるのだ。
さて、家庭で最も使われていながら、その使用量の削減に関して一切叫ばれていない紙類が存在する。
それは、トイレットペーパーである。
ここで提唱しておきたいのは、トイレットペーパーで二度三度と尻を拭く際、二度目および三度目は本当に必要なのかということなのである。
トイレットペーパーと言えど有料かつ貴重であるわけだからして極力無駄は減らしたいところなのだが、しかしこれを読む諸兄の中には「一度拭いたくらいじゃ、その、あれが残ってるよ! 明らかに!」と言う方もいるかもしれない。
確かにその通り。
正直残っている。
しかし一度拭いて残っているのなら、何度拭こうが残っているものは残っているのであり、完全に拭い去ることは事実上不可能である。「残っている」ということが問題なのであり、その多寡はどうでもいい。であるならば、この問題に対して我々はもっと別のアプローチを試みるべきではあるまいか。すなわち――
気にするな、と。
大したことはない、と。
一度で十分、と。
このような些細なことから節約をしていくことが、これからの地球資源を守るため、ひいては森林を枯渇させないために必要なことではないだろうか。
我々はいい加減、直視すべきなのだ。