螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

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ハイパークレイジーサイコイケメン天津美馬の行動原理を妄想する

 はい、というわけでね、本日は五分のリミッターを解除いたしましてね、アニメ『甲鉄城のカバネリ』の後半に登場し、同作のラスボスを務め、俺の脳内限定で一躍時の人となったハイパークレイジーサイコイケメン天津美馬様の腰に来る大活躍を振り返りつつね、彼の微妙にわかりにくい行動原理を考察、ではなく妄想していこうという趣旨のね、長文となる予定でございます。
 言うまでもありませんが『カバネリ』の猛烈なネタバレが含まれますので「これからカバネリ見ようかなぁ」とか思ってるボンクラボーイズは今すぐ退避するんだ! 間に合わなくなっても知らんぞォォォォ!!




 さて、まず美馬様の人なりについて俺の所見を述べるならば「自分以外の人間の痛みや苦しみを一切共感できないサイコパスで、しかも殺人嗜好者である」と、そう言い切って良いでしょう。
 しかし、そうであると同時に、えー、こう言うと過度に美辞麗句的なスメルがしてなにやらニュアンスがうまく伝わらないような気がしないこともないのですが、他の表現が思い浮かばないのでとりあえず言っちゃいますが、彼は「本当の勇気」を持った人間でもあったと、そう感じた次第であります。
 これら二つは一見ちぐはぐな要素に見えますが、一人の人間のなかで矛盾なく同居できる特質であると考えます。
 そして、彼の最終目標というか大義は「人類にまだ余力があるうちに外に討って出、カバネに戦いを挑むべきだ。俺が人類(おまえら)を勝たせてやる」というものであると考えます。美馬様の数々の悪逆非道は、究極的にはこれを目指したものであり、一切ぶれてはいないのです。いや、正確には最終回で一度だけぶれたのですが、それについては後述します。
 いやいやいやちょっと待てさっきお前美馬様のこと殺人嗜好者とか言うたやん。それがなんで人類を救おうとしてんのという突っ込みが来そうですが、彼は人を殺したいのであって人を滅ぼしたいわけではないのです。いい声で鳴いて命乞いをしてくれる人類がいなくなり、カバネしかしなくなった未来など美馬様的にはノーサンキューなのです。
 さて、ここで人類を取り巻く状況を振り返ってみましょう。カバネに包囲され、人は駅の中に引きこもりました。しかしそれで安全に暮らせているかと言えばまったくそんなことはなく、徐々に徐々に、ひとつひとつ、駅はカバネに飲み込まれ、人類の力は少しずつ削れていっている状況です。狩方衆だけはカバネに有効な反撃を行っていますが、それだけでこの全体の流れをプラスに持ってゆくことは不可能です。
 今の状況を維持し続けても、待ち受けているのは絶滅でしかありえなかったのです。
 美馬様も当然このことは認識しており、人類にまだ余力があるうちに大規模な対カバネ軍隊を組織して徹底的な反撃を行う必要を強く感じていました。
 しかし思い出していただきたい。十年前の九州征戦の折には四十万もの大軍を率いていた美馬様ですが、現在率いるのは狩方衆のみです。列車の中にすべて収められる程度の人数ですから、どんなに多く見積もっても千人に届くことはないでしょう。最高権力者の息子が率いる軍としては異常事態と言えるほど少ない。これは何故か。考えるまでもなく、あの臆病な親父が美馬様を恐れ、息子が大兵力を得ることを表から裏から手を回して阻止しつづけていたのです。
 美馬様は親父の愚かしい臆病さに深く失望しましたが、しかしそれでも人類を救うことをあきらめませんでした。親父から大軍を授かるという発想がダメなのだ。自分で調達しよう。
 というわけでわずかばかり許された千人未満の兵力を狩方衆として鍛え上げ、各地を転戦して人々の心に勇気と希望をもたらそうとした。「どうだ、見ろ、人類は俺が率いればちゃんとカバネに勝てる。勇気を振り絞り、立ち上がれ」と訴えようとした。
 本当の勇気とは何か。それは恐怖を胸に抱きながら、それに屈さず立ち向かうことです。美馬様は最低のクズゲスサイコパス殺人鬼ですが、しかし少なくともそれを持っていた。彼が恐怖を感じない存在などではなく、敵や危機に対して恐れを抱いている描写はところどころに散見されます。しかし美馬様は己が恐怖と向かい合い、常に最前線でカバネと戦い続けた。
 しかし領民たちは美馬様を英雄としてもてはやすばかりで、「ようし俺たちも美馬様に続くぞおおおお!」とかいう流れには全然さっぱりならなかった。人々の歓呼の声をひとつ聞くたびに、美馬様の中には失望と侮蔑の念が積み上がっていったのではないでしょうか。「救世主の登場を今か今かと待っているくせに、自分がその救世主になろうとはしない。それが民だ!」という某暗黒騎士の言葉が思い出される事態です。
「え? 何? つまり何? お前らまさか千人未満の俺たちだけでカバネを一掃できるとでも思ってんの? バカなの? 死ぬの? できるわけねーだろうが常識で考えろや!」
 親父の恐怖心によって足を引っ張られつづけ、民衆の恐怖心によって梯子を外され、美馬様の「人類完全勝利。しかるのちに思うさま殺人を楽しむ」という壮大な理想は潰えようとしていました。
 しかし、それでも、なお、美馬様は人類を救うことをあきらめませんでした。
「ようしわかった。お前らが俺のように恐怖と向き合いながら戦うことがどうしてもできないというのなら、俺がそうせざるを得ない状況に追い込んでやる。勇気を振り絞ることを強制してやる」
 というわけで親父を除き、自分が将軍位を簒奪することを決意。親父に対する恨みつらみは当然あるでしょうが、それはメインではなく、あくまで必要に迫られての倒幕であったと考えます。しかし、果たしてそれだけで本当に足りるのか? 新たな将軍から強制されるだけで、今まで恐怖によって自縄自縛し、破滅一直線の道を歩み続けていた愚かな人類どもが、本当の勇気を振り絞れるようになるのか?
 美馬様はどうしても楽観視することができませんでした。
 では勇気を持たぬ人間を、最も激しく動かすものは何か。
 当然、それは恐怖です。
 ゆえに美馬様は、カバネ以上に恐怖される存在になろうとした。
 それが金剛郭の惨劇に繋がります。
「どうだ。人類の砦の中で最も大きく、最も堅牢に守られた金剛郭ですら、俺の手にかかれば一夜で壊滅だ。つまり俺は貴様ら愚民どもの生殺与奪権を完全に掌握している。貴様らは俺の気まぐれ一つでいつでも殺されうる立場にある。状況がわかったのなら俺の足元にひれ伏し、俺が戦えと言ったら戦い、死ねと言ったら死ね」
 と、そのような布告を発するつもりだったのではないでしょうか。
 しかし美馬様、ここで人生最初で最後の「ぶれ」をしてしまいます。生駒くんの挑戦を受け、たった一人で正面から迎え撃つ愚行を働いてしまいました。
 ここまで徹底的に「人類を救い、その後ハッピー殺戮ライフを送る」という目的合理的な行動をとってきた彼が、なぜそんな無意味なリスクを犯したのか。



 ――本当の勇気とは何か。



 それは恐怖を胸に秘め、しかしそれに屈さず立ち向かうことです。
 そして、「本当の勇気」を持ち、かつ「カバネ相手に安定して勝てる戦闘能力」も有している存在は、この世界においては美馬様と生駒くんだけでした。狩方衆は所詮美馬様に自分の恐怖を預けた、美馬様がいなければ何もできないフォロワーに過ぎず、美馬様にしてみれば便利で忠実な駒ではあっても、敬意に値する存在ではありません。では来須はどうなんだ? という向きもあるでしょうが、彼は己の実存を「サムライ」という在り方に押し込めて恐怖を踏み潰した存在です。最初から最後まで「敵を恐れる描写」が一度もなく、眉一つ動かさずに死線へと飛び込んでゆきます。それは無論、いち戦闘者としては優れた在り方ですが、恐怖を生かしたままそれと向き合うということを拒否した在り方でもあります。血の通った、人間らしい「本当の勇気」ではない。
 よって、美馬様視点で敬意を払うに値する存在は、この世でただ一人、生駒くんだけだったのです。
 もちろん、最初はそうではありませんでした。しかし、一度徹底的に恐怖と絶望で心を砕き折ってやったにも関わらず、再び自分を討ち取らんと奮起し、向かってくる有様を見て、まぎれもない勇気の光を感じたのです。
 それは、どれほど衝撃的な体験だったことか。
 臆病で愚かな人類に失望しきっていた美馬様にとって、どれほどそれは烈しく美しく見えたか。
「命を燃やす男が、俺を待っているのさ」
 自分以外に、「本当の勇気」を宿し、かつそれを押し通せるだけの「力」をも持った、この世でただ一人敬意を払うに値する人間が、命を懸けてでもこの自分を殺そうとしている。
 それは最大の恐怖であり、同時に最高の栄誉でもありました。
 ああ、お前は俺のことを、そこまで強く思ってくれるのだな。どうでもいい障害ではなく、そんなザマになってまで殺す価値のある存在と認めてくれるのだな。この男が向けてくる感情だけは、無視してはいけない。それはあまりに礼を失する。正面から受け止めてやらなければならない。さあ来い、この世でたった一人の、俺の同類よ。
 これが「ぶれ」の理由であり、美馬様の唯一の敗因でもありました。
 しかしまぁ、美馬様サイコ基地外ですから、そもそもなんでそんなに自分のことを憎んでいるのか、たぶんあまり理解できてなかったんじゃないかなと思います。そして生駒くんも、まさか美馬様に敬意なんぞ払われているとは夢にも思っていなかったでしょう。ここまで激しく争った主人公とラスボスでありながら、ここまで相互理解がなってないというのもなかなか珍しいパターンであり、趣深い。
 そしてラスト。
 美馬様は生駒くんに白血漿(字これで合ってんのか?)を打ち込んで、救います。
 これに関しては、特に熱い理由などなにもなく、これまでの「カバネ打倒」という目的に完全に沿う行いです。自分が死ぬ以上、カバネと戦う意思と力を持った人間は一人でも生き延びるべきだから。
 結局、美馬様がぶれたのは、後にも先にも「生駒くんの挑戦を受けた」というただ一点のみであったのだと考えます。



 恐怖を胸に秘めながら、最期まで恐怖に屈することがなかった稀有なラスボスとして、天津美馬という男は俺のイケメン敵役ランキングのわりと上位につける存在となりました。
 しかし、正直に言いましょう。ここまで長々と語った文章はただの妄想です。製作者の意図を看破できている可能性ははっきり言って低い。美馬様が「お前ら戦え!」と訴えるが、臆病な民衆はうつむくばかりで手を上げようとしない、的な描写が劇中一度でもあれば自信をもってこれが正解だと断言できるのですが、残念ながらない。
 よって本稿は考察などと呼べるものではなく、「ぼくがかんがえたかっこいいさいきょうのびば」でしかないのです。
 しかしそれは物語を摂取するという行いの可能性を示すものでもあります。普段から妄想能力を膨らませ続けた変態が見れば、このような解釈も可能となるのです。いやぁ、物語って本当に素晴らしいものですね!


(彼はキメ顔で書き終えた)