螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

プラニージャーパラミット弾

 続き。何かがあるのだ。山尾悠子の作品の根底には、何らかの正体というか真理というか、そう書くとうさん臭くなるが、とにかく「何か」あるのだ。しかしそれが何なのかはわからない。ヒントは出されているような気もするし、実は「何か」なんてないのかと思うこともある。だが、俺の理屈づけられぬ感性は「何か」の存在を朧げに知覚しているのだ。あるいは、しているように錯覚しているのだ。それがたまらなく気になるのだ。同じ印象を受けた作品としては、宮沢賢治の『春と修羅』の序文が挙げられるだろう。まぁ、意味なんてわかりませんよ。何言ってんだこの人は。しかし、「何か」。意味不明な文章の背後にある「何か」の匂いが感じられてならない。それは何かの宇宙観とでもいえばいいのか。またうさん臭い表現になったぞ。そんな美辞麗句ではなくもっと自分の言葉でしゃべれバカ野郎。しかし自分の言葉とは何だろう。言葉なんておめー所詮は有限の組み合わせでしかないですよ!! そんなもんになに幻想抱いちゃってんの!! 現実を見ろ!! 文法を護って理解できるように書かれた文章はどれもだいたい一緒だよ!!!! 自分の表現て

 時間切れ。

(金がないからベルセルク無双買えない)