螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

今日はそこそこ書いた。

 続き。そもそも何だ、俺はこれまでけっこうな数の感想を書いてきたよ。まぁ数えてないけど多分百作品は下らんよ。でもなぁ、それで書き手側に何かプラスになるようなことを言えていたのだろうか。まぁ何がプラスかなんて人それぞれでもあるし俺側の主観だけで判断するのは片手落ちではあるのだが、正直あんまり役に立てたことないんじゃないかなぁと思う。何故か。結局のところ小説とは絶対的な評価軸など存在しない媒体なのである。っていやそれは他の形式の物語でも同じことが言えるんだけど、小説は特にそういう傾向が顕著な気がする。文章作法がどうのといった基本的なところを超えてしまえば、あとは全方位に道が伸びる。「好きな方へ行け」というわけだ。俺が行く道はこの360度以上に細分化されたうちのひとつに過ぎず、過ぎないにもかかわらずその視点でしか小説作品を見ることができないのである。何をしてもいいということは、何をしようが正しい道など存在しないということであり、「こっちに行くとええで!!」という発言自体がナンセンスである。以前までは、だからこそ良いのだ、と何のためらいもなく言えたのだが、しかし最近はこの寄る辺なさというか虚無主義的世界観に多少飽きてきた。個人の好み以外に何もない世界。優劣などない世界。じゃあ明確に評価軸が定まっている方が良いのか。断じて否である。それは間違いない。つまり何が言いたいんだ。わかんねえよ!!!!! なんだっけ!!!!!! そうだ役に立つ感想だよ。あー、うん、わかんねえなぁ。例えば俺は基本的に悪いところを指摘して、褒め言葉はあんま書かない感じである。うぜえ!! しかしこれには理由があり、「自作品の良いところなんて作者さんは自分でわかってるよなぁ」という思いがあるのである。相手がすでにわかっていることをわざわざ指摘するというのは、何というか、非常に気が進まないのである。しかしこれはあくまで俺個人の好みに過ぎず、褒められたい人とているだろう。そういうひとに褒め言葉を送って、モチベを上げる。それでええやないか。充分役に立ってるやないか。とか自分に言い聞かせている時点で、本心からの言葉ではないのである。よし!!!! まとまらない!!!!! これにて閉廷!!!!!!!