おれの獣よ、夜のヴィオロンのごとく、静かに哭け
暗い巷の
海の底から見あげていれば
木々の梢は
遠く星を呼吸しているようだあの枝先は
すでに星雲の世界にあって
おれたち人間どものとどかない
透明な言葉でもって
神について語っているのだ
見つけた。発掘に成功した。
狂おしい。美しい。
ここまでわずかな言葉の連なりで、これほど豊かに神々しいイメージを喚起できるものなのかと。
海と大気圏を重ね合わせて考えるその発想の奇抜さもさることながら、「宇宙に枝葉を広げる樹々」という絵の、なんと驚異に満ち溢れていることだろう。そして、不安定に揺らめく水面越しに見える、蒼く染まった樹冠の、なんと遠く尊く切ないことだろう。
俺は息苦しい水の底に横たわって、ごぽごぽ無様に泡を吹きながら、手を伸ばしているのだ。
決して届きはしない手を、伸ばしているのだ。
届かないからこそ、良いのだ。
で、この詩には後半部分があってだな。
だから人間どもは
空の見えない赤提灯の
屋根の下で
天にとどかぬうらめしさこりかためて
吠えているのだ露路はあっちへまがり
こっちへまがりして
行きつくのはおんなじ面した露路だから
そこからだって
時おり星などひかっていたりするものだから
人間どもはますます哀しくなって
遠吠えばかりがうまくなってしまうのだ
いや、うーん、前半だけでええんちゃうのん? とか思ってしまうのだ。
手が届く範囲の世界には、あまり興味が湧かないのだ。
こういうことを書くと何か危ない人のように思われるかもだが、いやいやだってそんな、せせこましい人間のせせこましい悲喜こもごもなんぞ現実で飽きるほど触れてんやん。虚構の中でぐらい全然ちがうものに触れたいですやん、と思う。
「さぁ、君のような根暗なオタクが主人公ですよ!! 感情移入してね!!!!」とかいう作品には「うっせぇ擦り寄ってくんなボケェ!!」と反射的に考えてしまう。もっと違うものを食わせろと。はるか遠い話を聞かせろと。自己投影とか感情移入とかそういうのいいからマジで。世の物語はもっと俺に冷たくすべきだと思います。
ところが、これが虚構ではなく現実の人間の現実の言葉だった場合、また異なる機序の反応が出てくるのだが、まぁそのあたりはいずれである!!!!!