螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

この滅びを御覧あれ! この嘆きをご覧あれ!

 かなり終盤になるまで信じ切ることができなかった。そのせいでいろいろ悲劇が起こったりもするのだが、まぁ要するに迷い惑う等身大の人間であり、単に善良なだけではない卑小さも持ち合わせる存在として描かれている。対してラゼィルはんは、その、なんというか、純真である。普通、知的生命が生きて行けば当然のようにあるはずの濁りというかブレというか、混沌とした何かが存在しない、フラットな魂として描かれる。彼ら二人はまるで鏡合わせの像である。それは故郷と決別した理由に関わる。トリッズトは善であり、ダークエルフ社会は悪である。これが話の大前提としてあるわけだが、ここにラゼィルという存在が加わると、いささか異なる様相を呈してくる。ラゼィルは言う。「お前らはぬるい。ぬるいうえに惰弱だ。結局のところ善側に負けた現実から目をそらし、自慰のごとき内輪もめを繰り返すことで自分たちは強くて悪い存在なんだと思い込みたがっているだけだ。聞くに堪えないし、見るに堪えない

 時間切れ。

ダークエルフ社会に対する認識の変化を促す存在、それがラゼィルである)