螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

ふさわしい惨めさを抱いて死ね

 で、なんであるか。パイセンの、この妄執は、果たして彼の中に最初からあった、自発的なものだったのだろうか。少なくとも、道場主の娘に水を差されなければ、ちょっと剣術馬鹿の青年で終わっていたのではないか。そして宿敵さんが「昼の月」なんぞに開眼しなければ、もう語るもはばかられる悪逆外道の限りまでは尽くさなかったのではないか。だがすべては闇の中である。欲望の自主性・積極性。いったいどっちなのか。しかし、考えてみればパイセン以外の誰がパイセンの立場だったとしても、本編の惨状には至らなかったことは容易に想像できる。では宿敵さんと道場主の娘は、やはりパイセンの魂に最初からあった欲望をブーストしたに過ぎないのではないか。1を2、2を3にしただけで、0を1にしたわけではなかったのではないか。いずれにせよ、かなり明確に「欲求」に優越する「欲望」を描いた点で、『刃鳴散らす』は非常に思い出深い作品となった。男が何の生産性もない、はた目から見たらしょーもないけじめをつけるためだけにあらゆるものを踏みにじり、愛とか絆とかクソですよね☆と言い切って特に何の反省もなく好き勝手に死んだこの男のことが、俺は好きでたまらない。

 時間切れ。

(悪逆を働くことそのものに何の喜びも覚えていない点も素晴らしい)