螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

こじらせはじめた

 だいたいなんで視点って狂っちゃ駄目なわけ? 誰が思ったことで誰がやったアクションなのか瞬時に伝えられているなら、別に視点主を一人に固定する必要とかなくね? どうなんだ? オイ? という問いに対して俺は答えられないのであった。えっと、昔は答えを持っていたような気がするのだが、もはやその知識は無意識の大海に散逸し、ただ教条主義的に「一つのシーンに視点主は一人まで」と繰り返しているにすぎないのである。思えば一般的な文章作法についても同様である。なんで「……」じゃないとダメなの? 「・・・」ではなぜダメなんだ? なんの違いがある? 機能的に言って別に何の問題もないよね? いやもちろん作法守ってない小説は結構な確率で駄作なので、見分ける指標として有用ではあるが、そういうことじゃない!!! 「・・・」でいいじゃん!!!! 変換する手間がはぶけるじゃん!!!! ついでに長さも柔軟に調整できるじゃん!!!! いったいなぜ三点リーダは存在するんだ……何の機能も果たしていないものにこだわってそれで読む作品の脚切をやるなんてどうかしてる。俺はそんなものには惑わされないぞ!!!! っつってもまぁ、見た感じ「……」のほうが

 時間切れ。

(なぜ台本めいてセリフの頭に名前をつけちゃいけないんだ? それで何が失われるというのか?)