ディルムッド・オディナの後悔
ケイネス先生が穴を下り、大聖杯のあった空洞にたどり着いたとき、ディルムッドはすでに四肢を失い、消えかけているところであった。「――正直に言うと、貴様のことは最初から気に入らなかった」表情一つ変えずに、先生は口を開く。そしてディルムッドに背を向け、どっかりと腰を下ろした。「騎士道などという胡乱な価値観に殉ずる、理解不能な生物。そういう第一印象であったし、それは今も変わらぬ」ディルムッドは、主の言葉を一言も聞き漏らすまいと、ただ黙って耳を傾けた。どこか、生前における自らの最期を彷彿とさせる状況であった。あの時、ディルムッドは主に見捨てられた。それを恨んだことなど一度もないが、それでも、最後に見る主が笑顔ではないことが哀しかった。それだけは忘れられない。「だがまぁ――確かに駒としては有能であったよ。凡夫であれば、騎士道に縛られたサーヴァントなど権謀術数渦巻く聖杯戦争で勝ち抜けるはずがない――などとしたり顔で語っていたところであろうが、生憎と私の見解は違う。決して裏切らぬ、というだけで、それは宝具級のアドバンテージだ。そして自害用の令呪を確保しておく必要がなく、三画すべてを支援目的に使いきることができる。ディルムッド・オディナ、貴様は騎士道に殉じた時点で、主に絶大なメリットをもたらす存在になっていたのだ」情緒の欠片もない、ひどく実際的な肯定に、ディルムッドは思わず微笑んだ。「騎士道に共感などする気はないが、しかし主に対する無私の奉仕がその本質だというのならば、なるほど貴様は確かに騎士の中の騎士であったよ。欠片も羨ましくはないが、ま、誇るがいい」「は……ありがたき、お言葉……です……」そしてディルムッドは、主に対する思いを告げる。「私も、ケイネスどののことが理解できませんでした……根源に至る、というのが、どれほど重要なことなのか……今でも理解はできていません……」「そうか。まぁ、武辺者にこの崇高な目的は理解できまいな」「しかし……等価交換という……魔術の原則と……それに立脚した価値観は、理屈としては理解しております……魔術師たるケイネスどのに、騎士道は恐らく共感しては頂けぬだろうということも……」「ふん」「等価交換……そんな考えをしたことは生前一度もありませんでした……生きるとは奉仕であり、責務の履行こそが騎士の本懐である、と……しかし……思えばグラニアに対しては、もっと求めるべきだったのではないかと……今では考えています……」「貴様の妻か」「彼女のために、人生を擲ちました。それを後悔したことはありませんが……思えば……求められたから応えただけで、求めたことなど一度もなかった……彼女にとってそれは屈辱だったでしょうし……人と人の絆の在り方として、どこか歪だったのでしょう……もっともっと、彼女にこちらの望みをぶつけるべきだった……そうしていれば、もう少しましな最期を、私は迎えることができていたのかもしれません……」「はッ、私に出会ったせいで後悔が芽生えたか」「はい、困ったものです」主は、低く笑った。彼の冷笑とは異なる笑みを初めて見た。「だがその後悔も、もうじき消える。良かったな。サーヴァントは所詮分霊。本体である英霊に、サーヴァントの記憶は引き継がれない」「はい……」主は、しばらく黙っていた。しげしげと自らの腕を見ている。「……それはそれで気に食わんな」「はい?」ディルムッドの鼻先に、主の腕が突き出された。最期の一画となった令呪が、いまだそこには宿っていた。「大聖杯の崩壊に伴い、いずれ消え失せるものだ。私にとっては完全に無用の長物。ここで使い切ってしまおう」「は――」今更どのような命令をするというのか。ディルムッドは首を傾げた。「令呪をもって我が従僕に命じる。――覚えていろ。この冬木での戦いを。その胸に芽生えた後悔を」令呪が消滅し、効果が発揮された。条理に反した、不可能な命令だ。しかもたった一画である。どれほどの意味があるのか、ディルムッドにはわからなかった。だが――頬を伝うこの涙の熱さだけは、きっと忘れたくとも忘れられないだろうと思った。「ありがとう、ございます……我が主……お仕えでき、て……こう、えい……でし……た……ありが、とう……あ、り……が……」そうして、誰よりも実直で、誰よりも他者に甘かった忠節の騎士は、粒子に分解されてこの世を去った。
一人の魔術師だけが、それを見送った。