螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

ただし光が差し込んでくるビジュアルは好き

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 でも『よろずや平四郎活人剣』は面白かったんだよなぁ。あれは人が出てくるたびにそいつの役職だの来歴だの故郷だの祖先だのを一気に羅列したりしなかったからな。うん。アレだよ、なんか初心者小説書きが冒頭でいきなり世界設定をとうとうと語り始めてしまうのと似たようなものを感じるよ。お前それは描写とストーリーを進めて、その事物に興味をもってもらってからすべきことだろうがと、俺は剣豪小説の数々に言いたい。で、あー、えー、フェイトゼロをプライムビデオで見返していたが、今日二期に到達した。本作は、アニメ化として申し分のない内容であり、まず傑作と称して良いのだが、ひとつだけ不満点がある。一期の最終話。雨生龍之介とキャスターがボロボロにされた自らのアジトを前にして悲嘆にくれるシーンである。あそこで「やはり俗人どもには何を期待しても無駄」と冷めた様子のジルに対して、龍之介が「でも、やっぱり神様はいるんだろう?」と力説するシーン。ここで描かれているのは人生の、世界の肯定である。

 

 時間切れ。

 

(人間に、世界に、生きるということに絶望しつくして狂った男が、瑞々しくも端的な肯定を前にして救われる、神聖なシーンだったはずである。なのに流れるBGMが「うわぁ悪い奴らがまたろくでもないことを考え始めたぞ」みたいな感じのノリなのが非常に気にくわない。あそこは感動的なBGMにすべきだったと思う。ここで描かれているものに善悪の観念をあてはめるのは冒涜だ)