螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

愉悦顔のまま人前に出てはいけない(戒め)

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 『ヴェロシティ』の時点でのウフコックは、まだ精神的に未熟であり、ちょっとしたことで傷ついたり悩んだりしてしまう「煮え切らない奴」だったのだが、対照的にオセロットは非常に強靭で勇猛で沈着冷静でユーモアも解するイケ犬だったのだ。いかなる苦境にあってもタフな冗談を言って猛然と仲間たちとの連携を取る。戦士の鑑とも言うべき犬物であった。そんな彼が、大好きだった人間を心ならず殺し、守ろうとした人々から嫌悪され、拒絶された際の絶望。自らの生に、何の意味もなかったのだという悟りとともに、静かに目を閉ざした最期。そのあまりの落差に俺はかなりショックを受けた。それに比べると、今回のウフコックのガス室案件は、いささか救いがある。まぁ、詳細は省くが、社会から拒絶されたわけではない、という点がでかい。そして、ウフコックは仲間を売れば助かる状況であったが、頑としてそれは拒み、死を受け入れる心境であった。もちろんそれは絶望的な状況だが、仲間のために死ぬ、という在る種崇高な意味があった。それは

 

 時間切れ。

 

(ウフコックの魂にとって、ある種の逃げ場にはなっていたことだろう。その種の逃げ場すらなく、何の救いもなく死んだオセロットを見た後だと、その、ねえ? いやウフコックも大変だったと思うんだけど、同じ境遇に散ったオセロットを思い出したりもしている手前、それ以上の追い詰め要素を求めてしまうのは読者の残酷さであり、しかし真理なのであった)