螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

別の何かを表現するためのメタファーとしてじゃなく、「ゲームと」向き合えよと思った

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 あぁ、伸びない……。で、えー、なんだっけ、『スタートボタンを押してください』だよ。本作でめっちゃモヤモヤしたのが、どれひとつとして「ポジティブにゲームを楽しむ主人公」が出てこないのである。なんか金のためにオンラインゲームをやったり、なんか不条理な危機に見舞われて、それから逃れるためにはゲームをやるしかない、とか。なんかこう、誰もゲームを楽しんでいないのである。そうじゃないだろう。

「ゲームが! 遊びが! 『何かのための手段』であってたまるかってんだよッッ!!!!」

 ですよ。なんでそんなお前、ゲームSFアンソロジーなのにゲームをネガティブに捉える作品ばっかなのよ。しかしちょっと待ってほしい。お前、バス停4部だって敵を倒すための手段として『フェイタルウィザード』をプレイしてたよな? お前そんな体たらくで本作をディスれるの? おん? いやまぁ、それはそうなのだが、バス停四部は「ゲームを手段に貶める敵に対して、そのゲームを純粋に楽しんでる攻牙がゲームで勝つ」という構造があり、全体としてゲーム賛歌になっているはずである。本作にはそれがない。誰も「面白いゲームを遊んで楽しい!」という純粋な感動を描かないのだ。どこか不健全で、本来あるべきでないものとしてしか描かれない。この作者たちは本当にゲームが好きなのだろうか。

 

 時間切れ。

 

(あとオチてない作品がやたら多い。起承転結で言うところの承あたりまで行って、「ふむふむ、状況は提示されたな。これを踏まえたうえでこれからどんなドラマが展開されるのかな?」と思った瞬間に唐突に終わる作品が少なくとも三つあった。すごくモヤモヤする)