螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

オリジナルゲームだとルールを極端に簡略化しないと読者がついていけない問題もある

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 ゲームに真正面からぶつかる小説が存在しない理由の第二は、個々のゲームに普遍性がない、という点である。まぁ、ギャンブルやスポーツならば、それぞれの競技のルールとか、どういう勝負なのかということを比較的多くの人間が知っているので物語の題材にはしやすいのだが、ゲームにはこの種の普遍性がまったくない。ゲームソフトは無数に出ており、それぞれが異なるルール・最適解なのである。このため、オリジナルのゲームを登場させるといちいちルールなりセオリーなりを説明せねばならない。これがスポーツなりギャンブルなりならば、定められたルールの中でいかにして勝つのか、という点をドラマの焦点にできるが、ゲームだと作者のさじ加減でルールすら変更可能であり、公平感がない。そして理由の第三は、ゲームの攻略とは根本的に「娯楽」であって、「戦い」ではないという点である。これは、ゲームにのめり込むのはスポーツにのめり込むのと比べてよりダサい、という化石みたいな考えが日本にまだ根強いことだけを意味しているわけではない。ゲームは楽しいのである。ドラマの主軸として、楽しい、だけでは起伏がない。苦しみや絶望も必要であるにも関わらず、ゲームをプレイするという行いにその種の情感はない。

 

 時間切れ。

 

(ただし格ゲーなどの、競技性の高いゲームジャンルはこの限りではない。そこにはチェスやボクシングに勝るとも劣らぬ過酷な求道がある。だがそれも、理由の第二によってやはり小説の題材にはし辛い。余談であるが、攻牙を主人公として、『フェイタルウィザード』でさまざまな奇人ゲーマーと戦ってゆく小説を書いてみたいと思ったことがあるが、他の作品で忙しいので当面形にする予定はないのであった)