螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

終わらない……

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 あれだよ、「話の前半に拳銃が出てきたら、それは必ず発射されねばならない」理論だよ。ギドラが明確に登場してしまった以上、求められるのは「人知を超えた力と力のぶつかりあい」以外ありえないのである。だが、『星を喰う者』において両者はぶつからなかった。すれ違ってばかりだった(物理)。これがなんとも、物足りない印象を抱かせる。また、『決戦機動増殖都市』においては「ゴジラを殺すには、我々は人であることを捨てなければならない!」という主張が、主人公のアンチテーゼとしてあったわけであるが、これはけっこう重い説得力をもっていて、そういう主張をするビルサルド人たちも露悪的には描かれなかった点を非常に評価していたのだが、『星を喰う者』におけるエクシフ人の主張はそれに比べてずいぶん説得力に欠ける。「あのそれゴジラに滅ぼされるのとなんか違うんスか?」と思った。怪獣を、文明が爛熟する過程で必ず発生する存在であるとし、だから人間は人間である限り怪獣からは逃れられない。もし完全に怪獣を克服しようと思ったら、文明を捨てなければならない

 

 時間切れ。

 

(というような結論で幕を閉じるのだが、なんというか、正直なところ古臭いテーマのように思える。初代ゴジラの頃ならば、科学文明に対する不審めいた感情はリアルなものであり、十分説得力を帯びていたかもしれないが、現代の我々は科学は扱い方を誤らなければ自然を守ることもできるという事実を理解しているはずだ)