螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

総十郎の手記という形で設定語りしてただけでした……


 スパルタカス=サンは「ナラク化しなくても勝てた相手」ではなく、「ナラク化しなかったから勝てた相手」なのである。これはつまり、戦闘方面におけるナラク・ニンジャの完全上位互換性に綻びが生じたことを意味している。これは忍殺という物語において、恐らく重要な転換点になるのではあるまいか。常にナラク・ニンジャといかに向き合うかが重要な要素だったのだ。えー、で、まぁ、なんかこう、言いたいことは書ききったか。ほんで、えー、なに書こう。あー、うー、オブスキュア王国は母権制社会なわけだが、調べてみると完全なる母権制社会というものは実在しなかったようである。どこでも幅を利かせていたのは男どもだったようだ。ううむ、どうしよう。まぁ別にファンタジーだからいいんだけど。えー、うー、そうだ、『刻刻』第一話を見る。おもろかった。これは期待であろう。で、えー、なんか『ディエスイレ』がえらい中途半端なところで終わったようだ。続きは二期か。このアニメ、原作に対するリスペクトは存分に感じられた。ちゃんと原作をプレイして、そのエッセンスをアニメで再現しようと努力していたことは伝わってくる。しかし――本当に残念なことに、バトルシーンに関してセンスがなさ過ぎた。

 時間切れ。

(未プレイ勢を完全に切り捨てた判断は誤ってなかったと思うが、肝心の既プレイ勢からガッカリされるようなバトルシーンであった。哀しいなぁ……。まぁ、もともと観念的な要素の強い物語であり、恐らくFATE以上にアニメ化はしづらい素材であったことは確かではある)