螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

ばとるがかっこよかった(脊髄感想)

 『レイゼロ』最終話まで見る。ああー、やられた。これ俺が『シロガネ⇔ストラグル 帝国編』でやろうとしていたテーマを先にやられてしまった。まぁいいや。いやしかし、なんだな、中盤で主人公のユウト氏はある惨劇を目の当たりにし、表現規制派に対して怒りをたぎらせてしまうのであるが、いやそれ自体は自然な感情と言うか、あんなことされてムカつかねえ奴はいねえ!! ってなものなのであるが、序盤の「表現規制派も、俺たちも、ただ気に食わないから相手を攻撃しあっているだけだ。そこに道義的な優劣なんかない」という立場にこそ、俺は衝撃を受けて痺れていたのであり、そうゆうのを捨てて、完全に表現規制派の敵になってしまったのが、まぁ俺個人の感覚からすると残念だった。いや、表現規制派へのヘイトを集めるに十分効果的な作劇と演出であり、俺自身もユウト氏の怒りに共鳴はしたのだが、あー、これで完全に「理不尽な表現規制派と戦う主人公」という、悪く言えばありきたりな構図になってしまったなぁ、と。なんというか止揚がないわけですよ。表現規制派が悪で、自由な創作者が善であるという、そうゆう二元論に落ち込みかけてしまった。

 

 時間切れ。

 

(ただし、この問題が表面化する前に、メイン敵役であるジョシュア氏の主張が炸裂して、まったく別の対立軸にストーリーがシフトしていったため、ありきたりな印象はなかった。良い作品だった。素晴らしい。だけど表現規制派もまた、なんかこう、我々には計り知れないR.E.A.L.な世界観を持っていたはずであり、そこは描かれずただ「否定されるべき人々」に落とされてしまったのが残念だった)