ばとるがかっこよかった(脊髄感想)
『レイゼロ』最終話まで見る。ああー、やられた。これ俺が『シロガネ⇔ストラグル 帝国編』でやろうとしていたテーマを先にやられてしまった。まぁいいや。いやしかし、なんだな、中盤で主人公のユウト氏はある惨劇を目の当たりにし、表現規制派に対して怒りをたぎらせてしまうのであるが、いやそれ自体は自然な感情と言うか、あんなことされてムカつかねえ奴はいねえ!! ってなものなのであるが、序盤の「表現規制派も、俺たちも、ただ気に食わないから相手を攻撃しあっているだけだ。そこに道義的な優劣なんかない」という立場にこそ、俺は衝撃を受けて痺れていたのであり、そうゆうのを捨てて、完全に表現規制派の敵になってしまったのが、まぁ俺個人の感覚からすると残念だった。いや、表現規制派へのヘイトを集めるに十分効果的な作劇と演出であり、俺自身もユウト氏の怒りに共鳴はしたのだが、あー、これで完全に「理不尽な表現規制派と戦う主人公」という、悪く言えばありきたりな構図になってしまったなぁ、と。なんというか止揚がないわけですよ。表現規制派が悪で、自由な創作者が善であるという、そうゆう二元論に落ち込みかけてしまった。
時間切れ。
(ただし、この問題が表面化する前に、メイン敵役であるジョシュア氏の主張が炸裂して、まったく別の対立軸にストーリーがシフトしていったため、ありきたりな印象はなかった。良い作品だった。素晴らしい。だけど表現規制派もまた、なんかこう、我々には計り知れないR.E.A.L.な世界観を持っていたはずであり、そこは描かれずただ「否定されるべき人々」に落とされてしまったのが残念だった)