六部ボス見た目はカッコいいんだけどな……
ペルソナ5、六部を突破するの巻。というかかつてなくボスが弱かった。あれ、こんな弱かったっけ? とノーマルプレイ時の記憶を反芻しても、六部ボスだけ特に簡単だったという記憶は一切ない。どういうことか。かつて久我絶無が諏訪原篤だった頃、初見であるから相当に非効率的なプレイをしてきたものである。久我絶無はそれの反省を生かし、極力効率を詰めながらプレイしてきたわけであるが、その成果がここにきてようやく結実してきたということであろうか。あー、しかし、悪人の個人的無意識の世界たる「パレス」という舞台装置を戦いの舞台にし、悪人が悪に落ちた経緯の描写がまったくないわけでもないのだが、本作は奇妙なまでに悪人どもに対して同情する気持ちがわいてこないのが逆にすごいなと思った。たとえばアレだよ、なんかすごい殺人鬼とかがいたとして、仮に俺がそいつの人生と感情のすべてを追体験するようなことがあったら、俺はやっぱりそいつに共感し、同情し、そいつの殺人を肯定的に見てしまうのではないだろうか。パレス、という舞台装置は、容易くそういう「敵を同情させる仕掛け」として機能しうるのである。これをあえて
時間切れ。
(同情させないようにするのは、かなり大変だったような気がするのである)