螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

オレ バール ニンゲン ノ ココロ ワカラナイ

 まぁくよくよしていても仕方ありませんよ!!!!!! 『インターステラー』を見る。なんだ、面白かったが、寂しいというか、精神にくるというか、なかなかキツい物語であった。もう宇宙にいってなんか大変なことをするだけでも危機としては十分だというに、本作には二人の人物による裏切り、しかもかなり深刻な裏切りがなされたりしていて、なんともキツイ。しかし主人公と一緒に宇宙にきたベイブが、なんか「愛は時空間を超えて相互作用しうるなんかだから!!!!」みたいなことを言っていて、まぁ愛が事態を打開する決め手になったりするのであるが、いや、しかし、なんだ、クライマックスの展開を見るに、相互作用しているのは、あのー、「彼ら」の超次元テクノロジーであって、愛ではないような気がするのだが。つまり我々が一般的に想像している愛の範疇から出ていないようにも思われるのである。いや、だからなんだよ!? 愛を、なんかこう斬新な解釈で物理的な相互作用能力を持つ概念として扱うような作劇が正しいとでもいうのか!? いや、俺は正直そっちのほうが好みであるが、そうではなく一般的に言ってそれは、なんか違うはずである。愛の神秘性を剥ぎ取るがごとき行いは作劇的に言って「悪」となりやすい。

 

 時間切れ。

 

(何が言いたいのかよくわからなくなってきたが、クライマックスの展開および事態の打開に愛は必要だったのか? ということである。途方もない距離を超えて情報を伝えるのに、どうしても父と娘の絆が不可欠のファクターだった、という風には見ることができなかった。だが、必要でなければいけなかったのではないのか? いや、そのように描かれようとしている節はあった。中盤でベイブが「愛はなんか色々凄いから、私の好きな人がいる方の星に行こう!」と言って、主人公が何言ってんだこいつってなって別の星にいったわけだが、あそこでベイブの言葉に従っていれば、もっと簡単にステージクリアとなっていたはずである。それは愛に何らかの神秘的な力が宿っているという風に描かれようとしているように感じられた。が、クライマックスの事態打開の因果関係に、愛の神秘パワーは発揮されていたのか? 主にすごいのは「彼ら」テクノロジーであって、愛があんま関与してなくない? 愛物理学に一貫性がなくない? いやだから愛をそんな、能力バトルのルールみたいに捉えるなつってんだろうが!!!!! 愛を手段に貶めてはならない。だが愛が必要不可欠に描かれなくてはならない。ゆえにこのような形になった?)