螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

ところで俺は決めた。推敲がどうなるにせよ四月末日に大公国に投下する、と。

 で、第三話をアレした感じのアレであるが、なんかこう、ドン引き思考の大喜利みたいなことになってきた。いやぁまあ、そういうのを求められているような気もするし、世界設定的にもまぁ別に不自然という感じでもないが。しかしなんだ、基本的には人民の間ではまっとうな倫理観がなければならない。さもなくば鬼畜行為を行っても、それを罪と認識する人間がいなくなり、罪業変換機関は駆動しない。しかし、一方で文明インフラを維持するには鬼畜行為が必須である。この矛盾をどうするのかが、本作の世界描写を行う上での最大の焦点である。あのー、なんか、二極化? するのだろうか? 九割九分はまっとうな倫理観の人間で? そんで残る一分が鬼畜行為をやりまくることによって文明を維持している? しかしエネルギーを得るため、という大義名分そのものが、その行いの罪深さを軽減させてしまう。どうすればいいのか。鬼畜行為をするのは、大義名分のために心を鬼にする烈士などではなく、本物の外道でなければならない。で、外道をどうやって管理統制するのか。というか、〈法務院〉が鬼畜行為を罰してくれないとなると、それはそれで社会の維持にかなり支障をきたすように思える。

 

 時間切れ。

 

(一般市民には、罪業変換機関がいかなるものであるかは知らされていない、とすればいいのか? で、たまに出る鬼畜外道を、〈法務院〉は表向き逮捕しようとしているが、その実なんかあのー、遠隔起爆できる首輪めいたものを外道につけて管理統制された鬼畜行為をさせている?)