この文章で人に理解させられる気がしない
タイムパラドックスものなんですね。山本弘は『去年はいい年になるだろう』でも似たようなパワレルワールド理論を扱ってたような、だいぶ違ったような……。曖昧な記憶でコメントしてすみません。既読だったらさらにすみません。
面白そうですね! 買ってみます。最近の俺は人のおススメを軽率に信じて本を買いまくっており、積読がヤバいくらい増殖している。積読とは恥ずべき状態である。積読自慢は死罪に処すべきである。で、えー、なんだ、『まだ見ぬ冬の悲しみも』は、時間を巻き戻すというイベントに対する一般的なイメージを覆す内容だったわけだが、しかしその、ふるまいにはどうにも違和感を覚えてしまうのだ。なんだろう。作中では、「最初は元の歴史を忠実になぞる感じで過去にもどってゆくが、だんだん量子的ゆらぎが大きくなっていって、やがて人々の行動に致命的な齟齬が発生し、人々があたりまえにやってきた営みすべてがかみ合わなくなり(たとえば何もないところで横向きに横たわったままどこかに座っているようなポーズでなんか食べてるジェスチャーをやるなど)、やがてみんな餓死する、みたいな、まぁそういう感じなのだろうと思うのだが、いや、しかし、それを言うなら人体の生命活動すべてが逆回しに展開されるのだから、時間遡行が始まった瞬間死ぬんじゃないとおかしいのではないのか。どうもよくわからない。実際に主人公が目の当たりにするのは自らが犯した殺人の現場であるが、
時間切れ。
(ナイフで人が刺殺される場面を逆回しにすると、量子的揺らぎによって人を刺すはずのナイフが主人公の手にないという状況が発生し、殺人が成立しないはずなのだが、主人公が何も握っていない拳を被害者から引いた瞬間、時間遡行モードは終わっていないにもかかわらず、そして刺殺より前の時点へと戻って行っているにも関わらず、なぜか被害者の傷口は塞がらず、なぜか血が吹き出てそのまま死ぬのである。この流れを合理的に説明できる理屈が組み立てられない。そもそも主人公の肉体の連続性をどう考えればいいのか。主人公はタイムマシンに乗り込むまでは正常な時間の流れの中にいて、一瞬たりとも消えたりはしていないはずである。で、時間遡行が開始されると、主人公の肉体は勝手にタイムマシンから後ろ向きに出て、後ろ向きに歩いて、殺人現場に向かうような気がするが、そうはならない。主人公の肉体は時間遡行が終わってからも相変わらずタイムマシンの中にあり、滅びた世界の中で自分と被害者の死体を発見するのだ。これが、何かおかしいような気がするのだが、説明ができない。滅びた過去世界は、しかし主人公が元居た現在世界と、まぎれもなく因果が繋がっている世界のはずで、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああわかんねえ!!!!!!!!!!!!!!!)