螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

手を汚さずに済んだ理由は特になく、ただの幸運でしかないのもなんかなぁ

 そういえばサイコパスでひとつ論じ忘れていたことがある。アカネちゃんネキが、ついに最後までエリミネーターで凶悪犯をドブシャアアア死させなかったという点だ。これが俺はどうにも引っかかった。一期は良い。ドミネーターの無謬性がまだ保証されていた頃にそういう機会がなかったのは何も問題ない。まぁそういうこともあるだろう。だが、一期のラストでアカネちゃんネキはシビラシステムの正体を知り、それに激しい嫌悪感を抱きながらも、今の社会秩序を維持するためにはそれが必要不可欠であるということを理屈として理解していた。自らの正義よりも、現実的必要性を優先したのだ。それ自体はもちろん間違った判断ではない。しかし、ではそうゆう立場に身を置いたアカネちゃんネキは、必然的にドミネーターの言うことに従う、という積極的決断をしたのである。ドミネーターが実はろくでもないものだし、その信頼性が完全に百パーセントでもないことを認識しながら、ドミネーターの託宣に従う道を選んだ。自らの人間らしい良心を保ちながら。で、あるならば、二期では「今ここで撃たなければ無辜の市民が死んでしまう」という状況に追い込まれ、潜在犯をゴア死させるかどうかの葛藤を迫られるべきなのではないかと俺は思ったのだ。

 

 時間切れ。

 

(だが、二期でもアカネちゃんネキは一度たりとも自らの手を汚すことはなかった。そうなっても仕方がない道を選びながら、そうならなかったのだ。そこが、なんというかなんか、なんかなんだよ。そして三期では監視官をやめてしまった。ドミネーターを手にする資格を失ったのだ。なんか。なんかなあ!!!!)