しかしベジータがフュージョンを知らないとはどういうことだ? 俺たちの知る『Z』とは異なる世界線なのか?
「では遠慮なく。」
剣光が、瞬いた。
リーネは不気味な感覚が肉体の中を走るのを感じる。冷たく、硬く、唸りを帯びた、そのぞっとする感触。
直後、背後に人の気配。「三度。死んだぞ。」
「うぅっ!」透過の太刀。容赦なく斬られた。
刃に神韻が宿っていなければ、間違いなく死んでいた。
だが、この間合い。総十郎は恐らくこれは予想しないはず。
リーネは鋭く呼気を吐き、神統器(レガリア)から手を離した。
腰のベルトに下がっている柄を握り、抜き打ちのように一閃させる。
幽骨剣。騎士のたしなみだ。
さてここで問題だ。透過の神韻が宿る軍刀は、果たして幽骨は透過するのか否か? これが、作者にもわからない。まず通常の物質は透過する。しかし、魔力が宿る物質は透過できない。なぜなら・・・・・ええ・・・・・・なぜなら・・・・・・こう、なんか・・・・・・魔力が・・・・・・特殊な次元の振動を・・・・・・こう、・・・引き起こして・・・・・なんかこう、透過できないんだよ・・・・・(消え入りそうな声で)。しかし、これと同じ理屈を幽骨にも当てはめるのはどうなのか。幽骨すなわち物質的なふるまいをする歪律領域である。魔力が宿る物質とは、また色々と違うのではないのか。ぜんぜんわからない。俺は雰囲気で設定を決めている。で、あー、えー、今日は『ドラゴンボール超 ブロリー』を見た。なんかツイッターアーで諸氏がすごいすごいとゆってたので、まぁ久しぶりに童心に還りますかと軽い気持ちで視聴を始めたらマジで凄くて俺は血を噴いて死んだ。あのー、すごいわ。後半ほぼずっと戦ってんだけど、いや、これはすごいわ。小説では絶対やっちゃいけないタイプのバトルだわ。もう体感で一時間ぐらいずーーーーーーーーーーっと殴り合ったり撃ったりしてんの。マジかよと思う構成なのだが、しかしひとつひとつのバトル描写が
時間切れ。
(もう気の狂ったクオリティでこちらを殴ってくるので構成がどうのとか思考できるような余裕が視聴中に一切ない。今の技術でアホほど金をかけてドラゴンボールバトルを作ったらこうなってしまうのかと戦慄する。凄い時代になったもんだ)