螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

きっと読者的にはどうでもいいであろう設定矛盾に延々と悩むマン

 〈終末の咆哮(ワールドイーター)〉の切っ先が幾度もその体を捉え、幾度も彼方まで打ち飛ばしているにも関わらず、両断も圧壊もせず、心折れることなく、雄叫びを上げながら吶喊してくる。
 それは、なんと幸福なことだろう。
 もはやヴォルダガッダの中に怒りも憎しみもない。ただ、この場に自分がいること、殺せるものがそばにいること、即座に殺せること、なかなか殺せぬこと、その対立のすべて、そこに至りし前提を形成する因果のすべて――余さず肯定していた。感謝していた。
 ただ、愛(サツイ)を返し続けるだけだ。
 とはいえ、ただ漫然と大神鎌の刃を叩き込み続けるだけではいけない。[それは誠実ではない]。殺せないことすらも肯定するが、だからといって殺すための創意工夫を惜しんではいけない。それは真の愛ではない。愛するポーズをとっているだけだ。
 煉獄滅理の法を〈終末の咆哮(ワールドイーター)〉に漲らせ、血の神は奇策の挙に出る。
 生前はそうこうことをほとんど重視せず、むしろ嫌悪すらしていたが、圧倒的に力が増した今においては、殺すために最善を尽くさないことにこそ嫌悪を感じるようになっていた。
 三振りの神統器を振りかぶり、振りかぶり――背中で三つの刃先を触れあわせる。
 残る三振りは依然として蠅の肉体を打ち飛ばし続けている。
 触れあった三つの刃は、そこでひとつの相克を形成する。

 ――神統器(レガリア)は、不滅である。

 だがそれは、[不壊であることを意味しない]。
 この世界の歴史に現れた、ありとあらゆる神統器(レガリア)所有者を圧倒的に引き離して、誰よりも深く強く〈終末の咆哮(ワールドイーター)〉と繋がったヴォルダガッダは、その事実を分かっていた。
 同じ神統器(レガリア)同士ならば、傷つけることも、砕くこともできるのだ。
 ゆえに。
 打ち交わされた三つの刃先は、それぞれに小さな傷をつけていた。煉獄滅理を宿した刃は、頑健さよりも攻撃性に特化する存在へと変異していたから。
 それらを、繰り出す。
 アゴスの巨体の周囲を紅い三筋の流星が凄惨な弧を描いて飛び――その斬撃弧の途上で砕け散った。
 ヴォルダガッダの得た悟り。殺し合いの途中で逃げる奴を認めない。その法の具現。交錯の際につけられたわずかなひっかき傷は、斬撃の動作にともなって葉脈のごとく全方位に罅を拡げ、やがて砕け散った。
 神代の秘跡が、無数の散弾と化して蠅に降り注いだ。

 思うに、QTEは難し過ぎるとダメなんだと思う。あれはあくまで「ムービーへの没入感を高めるためのスパイス」として運用さるべきもので、「ゲームの一要素」ではないのだ。ゲーム部分は高難度でも良いが、大ボスへの止めのQTEは簡単なものであるべきだと思う。そこで失敗したらテンションがた落ちやしな。いやそんなことはどうでもいいんだ。無数の散弾が烈火に降り注いで? それがなんなの? 万全の刃でも両断できなかった相手を、そんな散弾なんかでどうにかできるの? いや、これは烈火の視覚を封じる策である。微細なワールドイーターの破片が目の中に入ったりすれば「うげぇ!!!!」ってなることは疑いようがないからな。ほんで? それから? 動きが止まってしまった烈火に対してなにをすれば致命打になりうるのか。しかし考えてみると、生前のヴォルさんですら烈火に小パン程度の手傷を負わせることはできたのである。ならばアゴスとなった今ならばすでにここまでの攻防で烈火にそれなりの傷を負わせてないとおかしくない? それで吹っ飛ばした際に煉獄滅理が発動してとうに五体バラバラにできてないとおかしくない?

 

 時間切れ。

 

(ただ、これは烈火のギャグ系主人公補正で無効化――いや、されねえよ! 歪律領域の法は補正の影響を受けねえよ!! あれ? そうなるとおかしない? これを説明するには、なぜ烈火はここまでで一切傷を負っていないかの説明が必要にならない?)