クソデカ感情――クソデカ感情が足りない――
それが、ギデオン・ダーバーヴィルズという男の――すでに生を終えてしまったアンデッドの、魂の咆哮であった。
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――ヴォルダガッダ。
――おぉ、ヴォルダガッダよ。ギデオンは腹の底から吠え猛る。
仇敵に。旧友に。満身の想いを込めて。「お前のように在りたかった! お前のように生きたかった!」
もう戻っては来ない、誰かを抱きしめることができた頃の人生。
その時にこそ、本当は気づくべきだったのに。「本当に大切な、たったひとつのもの。それだけを見据え、それだけを求め、ただ前に進み続けた! そんなお前が眩しかった! 迷ってばかりの私は、どこかで泣きたくなるほどお前の在り方に焦がれていた! その気持ちは今も変わらん! 友よ! 我が、友よ!」
フランベルジュが斬撃のタペストリーを編み上げ、虚無の「面」を形成。
そこにのたうつ紅き鎖が殺到し――静止。
微動だにできなくなる。
時間の止まった空間に触れ、絶対なる永劫に囚われた。「ヴォルダガッダ、お前の生きざまは美しい! 目に焼き付くほどに! お前の鮮烈さに、きっと世界は耐えられぬ! ならば私も変わろう! かつて生者だった頃のように! 時が止まってほしいほど愛しき幸福だけを見据えよう! お前が殺すというのなら、私は断じて守るとも!」
それが、奴と向き合う最低限の礼儀だと思ったから。
気高く尊き殺戮の王に捧ぐ、礼讃と弔辞。
というわけで尻尾さんの意見により処刑剣はフランベルジュに変わりました。んでまー、熱き友情を吼えるシーンであるが、うん、なんだ、ギデオンが生前のヴォルさんを殺すシーンでは、そんな感情的でもなかったのに、このありさまはどうなのだろうという気もする。しかし、ギデオンはすでに改心し、まっとうな生命として在ることの尊さを理解した感じであり、自分の都合でヴォルさんを生命ではない何かに変えさしめてしまったことに対して、なにがしか感じ入るものはあったのではないのかという。で、あー、まぁ、そういうことは本文中に盛り込めよアホがという話であるが。これからどうしようか。なんか、アゴスの六本腕を封じるということは、本来途轍もなく不可能に近い難行なわけであるが、烈火と総十郎がわりとあっさり達成してしまったので、どうしたもんかと思う。本番にして本命は六本封じた後の、総十郎VSヴォルダガッダなのだが、しかしヴォルから総十郎へのクソデカ感情はあるのだが、総十郎からヴォルへの感情はそこまででもないんだよなぁ、という致命的な構成欠陥に気づく。どうしようか。総十郎もヴォルについてなにがしか感じてもらいたいのであるが、あんまそういうとっかかりがないよなぁ、この二人。
時間切れ。
(止縛法は効果の絶大さのわりに総十郎自身に何の消耗もないのが作者泣かせではある)