螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

ないアルよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 それが、この瞬間、解き放たれた。結合を解消され、飛散した。
「神籟孤影流斬魔剣・龍式参伝――」
 二つに分かたれた運命の片割れ――さきほどまでヴォルダガッダの腕を極めていた総十郎が、いつの間にか神韻軍刀を構えている。
 あたかも弓を引くような動作で。
 刃を手首に滑らせ、鬼火にも似た火花を散らしている。

  ほんでな、今日はアンタゴニアスにおける哲学的ゾンビの在り方について考えていこうと思う。言うまでもなくジアドくぅんの発想の元ネタは『ハーモニー』であるわけだが、本作においては意識とは「時系列に対して双曲線を描く不合理な報酬系と、複数の相矛盾する欲求のすり合わせ、その合議状態の全体そのもの」として定義されている。つまり「葛藤」こそが意識であり、「葛藤しない意識」などというものは原理的に存在しえない、とする立場をとる。もしも「葛藤しない人間」というものを作り出した場合、そいつの脳みそには意識が存在しないのだ。しかし、そいつは表面上、普通の人間と特に変わったところがない。葛藤しない、というだけで、別に行動選択にジアドくぅんのような不合理さはない。ランダムに人を殺したり殺さなかったりするようなことはない。違う、というのは別にいいのだが、ではなぜ違うのか。報酬系が正常に機能していないか、「無い」かのどちらかであろう。だが、まぁ、これまで特に健康を害することなく生きてきたのは、腹が減ったら飯を食うし、眠くなったら寝る暮らしを続けてきたからだ。報酬系が無い存在はそんなことなどしないだろう。ここにジアドくぅんの致命的矛盾がある。報酬系があるのかないのかどっちなんだ。

 

 時間切れ。

 

(半端に『ハーモニー』をパクって、雑に「ランダムに人を殺したり殺さなかったりする」とかいうやべー奴的キャラ付けをしてしまったツケがここで顕在化している。あと今までジアドくぅんは性欲とかなくて童貞だし勃起したことすら一度もないしこれからもないつもりで書いていたが、食欲や睡眠欲はあるのに性欲がないとはどういうことなんだという話になってくる。続く)