螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

あああああああああううううううううううあああああああああ

瞬間、総十郎の体は光に変換された。

 あのー、最初のなんとなくの構想では、ジアドくぅんの中で「目の前の人間を殺す」と「殺さない」の間には、利得の値として一切差異がないため、合理的判断によってランダムに決定されている――というようなことを考えてはいたのだが、ええ、つまり、常人とは「利益不利益」のものさしがまったく違うということを表現したくて、そうゆう感じになったわけであるが、利得の値が同じであるためには、他人が生きていようが死んでいようがジアドの生存に何の関係もない必要がある。だが――能力を考えるに、ジアドは二十四時間常に無敵というわけではないのである。ないのであるが――ひょっとしたら無敵なのか??? つまり、劇中で描かれたように、生涯のうち一分間を通常の時間軸から切除して未来の時点に張り付けることによってゲイボルグ理論による無敵効果を発生させるという能力は、実は一分経ったら間髪入れずに能力を再使用することによって、完全なる無敵と仮せるのではないか? それならば、他人の生き死になどまったく問題にもならない。殺すも殺さぬも理由など発生しえない。だが――もしそうだとしたらアーカロト、完全に勝ち目がないじゃないかという話になってくるのである。どうなのか。

 

 時間切れ。

 

(だが――ゲイボルグ理論が力を持つには「通常の時間軸に帰還したとき無傷であるジアド」を誰かに観測してもらうひつようがあるのではないか??? おれはずのうがばくはつしてしんだ)