螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

しかしなぜ昇格試験が殺人ゲームである必要があるんだ?

『――滅尽収束環(サムトパーダ)ァァァッ!!』
 六つの手に握られた六振りの鎖鎌が、のたうちながら世界を瞬断する。鎖を構成する鉄環のひとつひとつに埋め込まれた紅玉が発光し、星々の運行のごとき精緻にして荘厳なる幾何学模様を描く。それらはすべて無明と無常、そしてそれらを打ち砕く真理と悟りを描いた胎蔵界曼荼羅としての構造を持ち、煉獄滅理の法を解脱に至る道しるべとして機能させる。仏法への歪んだ回答。[生きることが苦であるのなら]、[なにも難しく考えることはない]。[在ることを止めればいい]。[わざわざ修行を重ねて涅槃に至るまでもなく]、[解脱の道はすぐそこにある]。[オレがテメーを救いに導く]。[バラバラに砕き]、[輪廻の環の全域にばら撒く]。
 今まさに捻り出された一閃は、そういうものだ。
 ●
 [引力すら感じなかった]。
 総十郎は、何も意識することなく、ただあるがまま前に踏み出し、ただあるがまま〈終末の咆哮(ワールドイーター)〉の刃に身を捧げようとしている自分に気づいた。
 精神を支配されているわけではない。ここで敗れるわけにはいかぬという意志に一片の変化もない。
 肉体を支配されているわけではない。四肢は動く。きちんと総十郎の命令に従い続けている。動作に遅滞を感じない。
 だが、ここからどう動こうとも最終的にはあの鎌に引き裂かれ、散華する。その確信がある。
 軽い足取りで、一歩前に出る。殺されるために。バラバラにされるために。腹から零れだす腸にも構わず。
 ――図らずも、理外の怪物を生み出してしまったというわけか。
 ゆえに総十郎は、この技の本質を即座に推察する。
 仏門の救いを曲解し、それを煉獄滅理に乗せて拡げ、万象鏖殺という結果へ至る形而上的引力場を形成する。
 正しい意味での「外道」。
 そこではあらゆる事象・あらゆる動きが、すべての命を殺し尽くす方向に作用する。自らが行うほんのわずかな体重移動すら、複雑怪奇な因果の果てに総十郎を殺す結果を手繰り寄せる縁起となる。
 ――だが、まだだ。
 縁起とはすなわち仏教の根本原理である。
 人は必ず死ぬ。それは確かに真理だが、しかしいつ死ぬか、ということについて縁起は極めて曖昧である。なにひとつ断言はしない。

 ビジュアルイメージがぜんぜん浮かばない。どうすればいいんだ。小説だからビジュアルイメージとか別になくていいという意見には賛同しかねる。俺は常に脳内でハイクオリティアニメとして再現しながら書き進めていくタイプの小説火器である。だが鏖殺縁起・滅尽収束環についてはここまでで一切脳内構築ができていない。これは由々しき問題である。環、という表記からして、見た目環を形成しているのか? 何が? 斬撃の軌跡が? なんで? ぜんぜんわからない。あるいは、ここでぜんぜん別の色彩を出してみるというのはどうであろうか。仏法エンチャントの施された鎌が、なんか異質な色に光るわけですよ。わけですよってお前、具体的に何色だよ。解脱とか悟りとか涅槃とかのイメージカラーって何だ? ぜんぜんイメージないな。うーむ、とりあえず書き進めるしかないな。棚上げ!!!! そして読み返した時に考えよう。頼んだぞ未来の自分!!!! 俺はお前を信じている!!!!! 期待してるからな!!!!!! 無様な仕上がりにするなよ!!!!! いいな!!!!!! フゥ、責務は果たした。えー、えー、今日は『仮面ライダークウガ』を見始めた。なんとなくだ。四話あたりまで見る。なんか怪人は古代人? のようなもので

 

 時間切れ。

 

(「ゲゲル」と呼ばれる殺人ゲームを行い、その成績如何で昇格試験を行っているという予備知識だけはあった。人が割とバンバン死ぬのでいいですね!!!!!)