だがそう馬鹿にしたものでもない「想像の余地」概念
当時の軌跡世界は、キャラクターが2.5頭身ぐらいにデフォルメされ、クォータービューで左右に視点を回転できるゲームであった。その当時、俺はこのモブすべてに名前があり、生活があり、それぞれの来歴を持ち、それぞれの人生の物語を歩んでいるという事実が少しずつ明らかになってきたとき、けっこうな衝撃を受けた。そのセリフ内容はストーリーの進行によって時系列が進み、更新されてゆく。もちろん、彼らがいる場所も時系列によって違う。このため、自由行動が可能になるととりあえず毎回町の人全員に話しかけまくるのが軌跡プレイヤーの定石になっていったのだ。もちろん、それによってアイテムがもらえたり、隠しサブクエストが発見出来たりとゲーム的な実利はあるのだが、しかしモチベの半分くらいは、この世界に確かに生きて、生活し、日々を送っている彼らモブたちの物語も余さず味わい尽くさねばもったいないという思いであった。その気持ちは嘘ではなかったはずだったのだ。だが――軌跡シリーズはナンバリングを重ね、ついに2.5頭身のデフォルメキャラを卒業する時が来た。『閃』シリーズの開幕である。本作からキャラグラは八頭身になり、ハードの性能限界でデフォルメせざるをえなかった旧作とは異なり、本来表現しようとしている情景ほぼそのままに等しい映像が作れるようになっていた。
時間切れ。
(だが――その結果として、何かが失われてしまった。それは、なんだろう、箱庭感? あるいは、想像の余地? うわ、想像の余地などと。まるで老害ゲーマーみたいなことを言ってしまった。おえー)