螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

俺はあらゆる表現規制に反対する立場を取る。そこは前提である。

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 あぁ、めっちゃ伸びとるやんけ。まぁでも明日はさすがに下がるであろう。タイマーかけて小説書くメソッドは非常に有効であるということが完全に証明されてしまった。なんてことだ。もっと早く教えて欲しかったよ。あぁー、で、えー、昨日の話だが、要するにさぁ、これさぁ、俺が「唐突に不細工の裸を見せられて不快に思ったけど、それをそのまま言ったらあまりにも耳障りが悪いので、なんかそれっぽい理論武装してるだけ」なんじゃねえの? おん? どうなんだオイ? それは表現規制を叫んでる腰抜けと本質的に同じ行いなんじゃねえの? おん? しかし「不快だからと言ってこの世から根絶せよというのは横暴である」というのは正しい、と感覚的には思うが、しかし、例えば全人類が一人の例外もなく不快と感じる行為があったとして、果たしてそれは守られるべきなのか? つまり、「害」と「不快」をどう線引きすればいいのか? 害がなぜ害であるかといえば、不快を招来するからである。人間の主観においては「快」と「不快」しか存在しない。殺人は、すべての、とまではいかねども、ほぼすべての人間にとって不快であるから禁じられているのだ。では、殺人を禁じるのが通って、表現規制が通らないのはなぜか?

 

 時間切れ。

 

(どういう理屈で表現規制反対を正当化すればいいんだ? 結局のところ程度の問題でしかありえないのではないか?)