螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

先進国の治安と生活水準の恩恵にまったく依存していない者のみがジョン・ポールに石を投げてもいい

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 『虐殺器官』の映画を視聴する。おっ、なるほど・・・母親関連のエピソードは丸ごと削ったか。確かにアニメ映画としては、人がゴア氏しない静かなシーンはなるべく削除したいところだったのだろうな・・・。というか、原作小説の時点でも俺は「母親かんれんの奴は人がちっともゴア死しないから地味だな・・・」とか思いながら読んでたので、これはまぁ、良改変と言えるのではないだろうか。もう四六時中人がゴア死しててほしいからな!! まぁ実際のところ、『虐殺器官』は主人公が子供を虐殺するシーンさえ忠実にやってれば勝ちみたいなところがありますからね。満足満足! 子供もいっぱい惨たらしく死んだぞぉ!! しかし、結末を曖昧にぼかしていたのはどういう意図だったのだろう。もちろん映画の描写だけでも、ルツィアの願いを叶えるにはどうすればいいか、実質一択だったし、「ジョン・ポールには悪いが」という主人公のセリフからも、最終的に主人公がどういう結論に至り、何をし始めたかを推察することは可能だが、しかしそれそのものは描かれず、なんかボヤっと見てたら「このまま平穏に終わったんだな」みたいな感想になってしまいそうな感じなのである。なぜ曖昧にぼかしたのだろう? 映画的にはハッピーエンド風じゃないといかんのか?

 

 時間切れ。

 

(本作のいいところは「人間の醜い悪性を克明に描き出す」みたいな使い古され過ぎて腐臭すら漂っているような凡庸なテーマとは真逆のものとして人間を捉えている点である)