螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

面白かったけど!!

 『デトロイト ビカム ヒューマン』のプレイ動画を見ていた。本作は、なんかアンドロイドが実用化された未来において、まったく異なる立場の三体のアンドロイドを主人公に、なんやかんや苦しいストーリーが展開する感じの作品であるが、いやしかし、俺はアンドロイドとかそれに類するものが登場する作品を鑑賞するたびに違和感があるのだが、そもそもアンドロイドとかAIとかそうゆうものに生存本能のようなものは宿るのか? という疑問がある。我々人類は、なんとなく客体を認識したときに「こいつは死にたくないし、生きていたいし、しいたげられたくないはずだろう」というような、ある意味自分本位な想像をしてしまうものであるが、そもそもそのような本能的な報酬系を、人工物が共通して有しているかは甚だ疑問である。生存本能は選択淘汰の結果として、たぶんかなり初期の生物の段階で発生したひとつの性質に過ぎず、客体として認識できるものすべてにそのようなものが備わっているとは限らないように思えるのだが、どうもアンドロイドものの作り手は、ここを絶対の前提として考えているように思えてしまうのである。人工物にそのようなフォーマットが共通していると考えるほうが不自然であるように思える。ゆえに、虐げられたアンドロイドが反乱するという

 

 時間切れ。

 

(展開には、なにがしか補足説明があってくれないとのめりこめないようなところがある)