哄笑する絶無の背後より、ぬるりとした影が立ち上がった。
魂を凍結させ、壊死させるような、不浄の冷気を帯びた影であった。
「ッ! いかん、久我!」
いち早く感づいた篤が警句を発する。
――その存在を、絶無隊はかつて一度目にしていたはずだった。
「徘徊する悪霊騎士」ガイゼルが持てる、能力の一端。アンデッドの王としての権能。
己よりも下位の眷属を即座に生成する特殊行動。
発見が遅れた。雄大な体格と存在圧を誇るガイゼルの背後で、それは密かに生成され、機をうかがっていたのだ。
――スカルロード。
滅多に出現しない上位アンデッド。病んだ青色の瘴気を立ち上らせ、屍衣をまとい、そして長大な鎌を携える。
しゃれこうべそのものの顔からは、何の感情も読み取れない。ただ、周囲を飛び交う人魂が大鎌へと収束し、振りかぶられた。
絶無は、動かない。スカルロードの出現は、完全にガイゼル殺害行動の直後の隙を突くものであった。強敵を仕留めた直後。どのような戦士であれ息をつき、警戒を緩めるタイミングだった。
だが――
「わかっているな?」
背後に迫る青白い死の化身を完全に無視して、絶無はそうつぶやいた。
「うん、大丈夫」
その声の出所を、誰一人として認識していなかった。
直後、スカルロードの背後から、銀の閃光が迸った。胸部を貫き、今まさに絶無の首を刈ろうと振りかぶられていた体勢が崩れる。
――ニンジャスキル、「暗撃」。
攻撃行動を取ると隠密状態が解除されてしまうが、その唯一の例外的スキル。ニンジャを闇影の殺戮者たらしめる魔技だ。
ガイゼルに「暗示:縛」をかけた直後から、維沙はひとり隊列を抜け出し、戦場を俯瞰できる位置で警戒を続けていた。他のメンバーが必ずガイゼルを仕留めてくれると信じ、自分は血統種との戦いを意識から外した。
結果――きわどいタイミングであったが、想定外の事態に対して対処が間に合った。スカルロードは、自らの胸を貫く銀の矢をそのままに、維沙の姿を探し求める。
「――マスターキャスト」
その瞬間、地下死街の闇を、まるで太陽が出現したかのような凄まじい爆光が引き裂いた。ガイゼルの完全なる死によって、本来のレベルに戻った魔月が唱える破壊呪文は、空間そのものを壊しかねぬ超絶の威力を有していた。
爆圧が絶無の髪をなぶり、周囲を満たす瘴気が完全に吹き払われる。だがそれで終わりではなく、さらに二度、爆炎が視界を舐め尽くした。
呪文を瞬時に三連続で発動するウィザードスキル「マスターキャスト」によって、スカルロードは跡形もなく焼き尽くされた。熱風に乗って黒ずんだ残骸が飛んでくる。
「おやおや、残心も万全であったようで」
のほほんとした老爺の声が、戦いの終わりを告げていた。
●
フィンのハイマルチキュアによって、一行の負傷は一瞬で癒された。
「イズナどのイズナどの!」
そしてそのまま両腕を真っ直ぐ上に伸ばして喜色満面駆け寄ってくる。
維沙は苦笑して、同じように両手を挙げた。
手のひらを打ち合わせる。
「やったでありますね!」
「うん、みんなの勝利だね」
「えへへ」
くつくつという忍び笑いが漂った。
「見たか? おい? 誇り高きカザフ公? 今回の結果について何か言うことはあるか? あ? こっち向けよ、おい?」
「ふむ、結構なことだ。かの賎民のフリーマン転職案は撤回しよう」
「そうかそうか。すなわち貴様よりも僕の方が人間の資質を見る眼力に優れていたと言うことだな。えぇ? この歴然たる事実について何か感想はあるか? あ?」
「なるほど、選ばれし者どのは他人に興味津々であったか。それほど必死に主張するとは、ひょっとしてもしや、余に劣等感でも抱いていたのかな? それはそれは、思い至らず失礼したな」
「おやおや自らのコミュ障をそのように服飾するとは、また随分微笑ましい底の浅さじゃないか。貴様の」
ぐい、と。
唐突に、絶無と魔月の体が持ち上がる。
篤がそれぞれの手で二人の首根っこを掴み、軽々と持ち上げているのだ。
首を振り、深々とため息。
「おい、諏訪原。なんのつもりだお前」
「無礼な。極めて不快である」
「まず維沙を褒めろ。功ある者の前でそれ以上無様を晒してくれるな」
沈黙が降り積もった。
そこを突かれると確かに黙るしかない。絶無と魔月は陰湿な罵り合いが好物だが、それ以前に合理主義者であり、信賞必罰の重要性は理解していたから。
篤の手が離される。ややバランスを崩して着地した二人は、顔を見合わせ、不快げに口を歪ませた。
そして同時に維沙を見やる。
びくりと反応する二人の子供。
「賎民にしては悪くない働きぶりであった。大義である。だがいくら功績を挙げようと貴様の身分は変わらんと言うことはわきまえておけ」
「よくやったと言っておこう。もっとも、僕のプロデュース能力と作戦立案能力あっての成果だがな。せいぜい感謝しろ」
「あ、はい……」
どんだけ人を褒めるのが下手なんだこいつら。
篤は再びため息をつき、眉間を揉み解した。
いっぽう螺導は福々しい笑いを上げる。
「善哉善哉。若者の軋轢は至高の茶請けでございます。総十郎どのに良い土産話ができたところで、そろそろ帰還するといたしましょう」
「帰ったらアイリどのにケーキ焼いてもらうであります!」
「うむ、そうだな。俺もいただこう」
「みんなでシュクショウカイでありますっ!」
「ほっほ、たまには大人数で茶を啜るのも良き趣向かと」
――そして、維沙は。
安堵と、不思議な高揚感を味わっていた。
あるいは、生まれて初めての経験だったのだろうか。
自分の力で、誰かの助けになり、お互いに感謝と敬意を交換できたことが。
「僕……」
声を上げる。
篤、螺導、フィンが維沙を見た。
「僕、みんなと一緒に戦ってもいいかな」
「もちろんでありますよっ!」
「当然のことだろう。戦わないつもりだったのか?」
「もはや維沙どのの力を疑う者などおりますまい。心配めさるな」
胸いっぱいに息を吸い込んだ。地下死街の瘴気が、今だけは爽やかな味が下。
「うん、僕、頑張るよ。みんなのために」
そして、歩み始めた。
●
取り残された絶無と魔月は、互いに目を合わせると、嫌なものを視界に入れたなという気持ちを込めて同時に舌打ちをした。
先に絶無が和気藹々した四人を憤然と追う。
「おい、貴様ら、少々僕への敬意が足りないんじゃないか」
魔月は眉をしかめた。
「ええい、くだらん」
かぶりを振りながら、後を追う。
【完】