螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

メンタルの強さで抗えたら駄目ではないのかという

確かにあの事故死は謎ですね…手術刀を打ち上げてお祈りしたのが当たっただけで、オゾネズマが落下点に来るのは誘導できていなかったとか?

 「事故死を期待して行動」は普通に殺意ではないのかという疑問が生じますが、そもそも魔王に「殺意を反射する」能力などなく、狂わされての自殺が結果的に反射しているように見えただけで、「始まりの一行」よりも強力な存在であるソウジロウならば多少は自殺衝動に抗えたというだけの話なのかもしれません。だけどこれは魔王の力に「強弱」という定量概念が当てはまるということを意味します。ゲームルール記述風に言うと「相手は発狂する」「相手は精神力パラメータを参照した判定に失敗したら発狂する」ぐらいの違いがあり、じゃあソウジロウよりメンタル強かったら普通に魔王を殺せるのかよという話になってしまう。魔王の絶対性を容赦なく毀損するこの理屈を果たして異修羅という物語は許容するのか否か、どうにも断言ができないのである。というのも、出そうと思えば「ソウジロウよりもメンタルの強い奴」なんて簡単に出せてしまえるじゃないですか、フィクションなんだから。だけど『異修羅』で描かれる魔王は、「何をどうすれば倒せるのかちょっとわからない存在」としていままで描かれてきたような気がするわけですな。そこに「じゃあめっちゃメンタル強い奴ぶつければええやん」みたいな雑で面白くない対策が成立してしまうような隙を果たして珪素先生は許容するのかという。

 

 時間切れ。

 

(だから個人的には「腕一本になったからと言って魔王の発狂力は一切衰えないし相手の精神力に関係なく確定で発狂させる」存在であってくれないと魔王の魅力が減じてしまうように思えてならないのである)