螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

もしくはすぐに崩壊しそうなスゴイヨワイ宇宙を想定してもいい

 気を取り直して『神のふたつの貌』の話をしよう。なんかあのー、キリスト教における神の実在は信じているが、神の愛が人間たちに向けられていることは信じられない少年が、なんやかんやする話だ。で、主人公が神の実在を信ずる根拠は「この宇宙は奇跡的な偶然によって成り立っているし、人間の存在は奇跡的な偶然が無数に発生しなくては説明がつかない。ゆえに神はいる」という理論であるわけであるが、俺はこの話は根拠薄弱なように感じられる。まぁ真っ先に思いつく反論としては「弱い人間原理」が挙げられる。「そもそも人間が存在しない宇宙においてそのような疑問は発生しえない。人間の存在自体が偏った変数であり、それを前提として確率的におかしいなどと言うのはアンフェアな態度である」というようなアレである。まぁでもこの理屈は別に神の存在を否定しているわけではなく、「神の存在を断言することはできない」という程度の主張でしかない。そこで第二に思いつくのは、人類以上に繁栄しそうにない、すぐ滅びないとおかしいような知的生命を想定してみる思考法である。ホモ・サピエンスの存在が不自然なまでに奇跡的と言うのなら、彼らスゴイヨワイ人(今命名

 

 時間切れ。

 

(の生存はそれ以上に奇跡的である。「奇跡的である」ということが神の実在の根拠だというのなら、なぜ今スゴイヨワイ人はこの世に存在していないのか)