「キィ~~~ジョキジョキジョキジョ!」とか笑いだしたらさすがに誤解しないけど
『「感情」から書く脚本術』を読み進める。あのー、本作はもちろん最初は英語で書かれたやつであり、そうであるならば文章そのもののアドバイスは、日本語で文章を書くにあたっては、話半分に受け止めるべきであろうなと考えていたのだが、以外にも日本語にも応用できる話ばかりなのでマジで意外だった。しかし、「弱い言葉をいくつか連ねるよりも、強い言葉ひとつだけを選んで書く方が効果的」という言説自体はわかるのだが、「性格の悪い女性」を「鬼女」の一言で書くべしというたとえはいささか首をかしげる。恐らく英語と日本語では「鬼女(ハッグ)」のニュアンスが若干異なるせいではないかとも思うが、単に「鬼女」とだけ書かれると、それが「性格の悪い女性の隠喩」なのか、それとも本当に「鬼女と称すべき超常存在」なのか、「鬼女」という文字だけでは判断がつかず、リーダビリティを阻害しているようにも思える。これは「説明するな描写しろ」という言説に俺が反感を覚える機序と同じである。描写をするなとは言わん。描写は小説の要である。だが描写だけで終わらせるんじゃない。端的で短い説明文を添えろ。じゃないとわからん。
時間切れ。
(俺の察しの悪さをナメるな)