螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

こっち見てない作品の法悦

 陰謀団の駄文がちっとも進まずアカンわこれこのままじゃ月二回更新守れないでしゅうぅぅぅぅぅぅッッ!!!!(3Dアクションゲーム!!)というわけなのでなのでなので? 適当な? 繰り言を? ほざいて? お茶を濁そうと? ははぁ、さてはそういうカラクリですな? などとカイゼル髭をしごきながらしたり顔で嘲笑しているであろうお前ら読者を俺は憎む。おしりペンペンする。そしておもむろにケツの穴に指突っ込んで魔貫光殺砲ブチ込む。
 『グスコーブドリの伝記』である。
 あのーなんか宮沢賢治の小説だかを? なんかアニメ映画にした感じのアレだよアレ。
 知らない? 知るか。
 でまー、微妙……というほどではないが普通だったわけだ。なんか同じ奴らが大昔に作った『銀河鉄道の夜』はやたら強烈な印象を残した作品だったのだが、こっちは、その、なんというか、リアクションに困るのだ。
 正直に言おう。安くなった。
 なぜ安くなったか。
 こっち見てやがるのである。
 背筋をそそけ立たせる異様な空気感がなくなり、ご家族でお楽しみいただける感動作になっちまってやがるのである。
 いや確かに『銀河鉄道の夜』にも悲劇的なドラマはあった。しかし作品全体からすればそれはオマケみたいなものであると、そう言いきってしまっても良いのではないでしょうか!!!!(放屁)
 メインは、畏怖を伴う宇宙観であった、と思う。基本的にBGMはなく、どんより暗い乗客席の情景がデフォであり、唐突に表示されるサブタイトルとともに明るい場面がぽつぽつと飛び石のように立ち現われては消えてゆく。我々の住むこの大地が、実は底知れぬ暗黒の虚無の中に浮かぶ砂粒に過ぎないという事実への絶望と恍惚、それをああいう形で描こうとした作品を、アタシ他に知らない。
 そしてエンドロールでは重苦しくも澄んだ印象を残す不思議な曲とともに『春と修羅』の序文が朗読されるという、まぁ凄まじいまでにこっち見てない作品なのである。
 理解できなかった奴(つまり俺)のことなんかまるで考えていないこの態度。たまんねえなオイ。初めて見た時にはそのあまりにロックな姿勢に痺れながら尿を漏らしたものである。
 しかし『ブドリ』は違うんだ。確かに映像的にはいろいろ面白いことやっているのだが、大枠としては超不幸属性の青年が命を賭けてみんなを救う感じの感動長編に収まってしまったのである。こっち見んな。
 ドラマにわかりやすい脈絡ができてしまったがために、凡百の泣かせ映画と同じような目線で見られるようになってしまったのだ。で、泣かせ映画として見た場合、『ブドリ』の完成度は決して高くない。ダメってほどではないが、弱い。
 そうじゃないんだ。俺が期待してたのはそうじゃないんだよ!!!!(放屁) 猫人の宮沢賢治映画はもっと、こう、凡人(主に俺)の理解を絶したわけのわからん何かであって欲しいんだよ!!!!(放屁)
 だかしかし、これは映画製作者のせいばかりとも言えない。原作小説からし宮沢賢治の中ではかなりわかりやすい脈絡を持つ感動作なのだ。これを映画化しようと思ったら、まぁ、こういうことにならざるを得ないのである。むしろ限られた大枠の中でよく反逆してくれたと言うべきなのかもしれない。
 でも裏切られた俺の期待はどこにぶつければいいというのか。
 思えば『刃鳴散らす』と『装甲悪鬼村正』の関係にも似たようなアレを覚える。
 『刃鳴散らす』は「男が妄執のままに死ぬ気で成し遂げようとしていることに比べたら愛や絆なんてクソみたいなものだよね(はあと)」という実に反社会的なテーマの作品であり、見事な「こっち見てない作品」なのである。それが痺れるほどカッコイイのだ。
 が、『装甲悪鬼村正』は違った。確かに劇中で起こる出来事の悲惨さ、残虐さ、そしてストーリーの面白さはこちらが上なのだが、「どうだい? 惨いだろ? 悲しいだろ?(チラッチラッ」みたいな作為臭さが鼻につくのだ。どうしようこの、この、なんというか、お客様との関係性を大事にしちゃってる感。
 違うのよ。アタシもっと冷たくされないと燃えないのよ。
 なぁ、みんなもそう思うだろ? なあ!!!!!(血走った眼で)