螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

一話は見た

 『進撃の巨人』が完結してしまい、俺は恐慌した。いかん。いい加減履修を進めなくては。しかし何巻まで買ったのか完全に忘れ、そして家のどこに埋まっているのかも完全に不明である。詰んだ! いや、諦めるな! ネトフリにはアニメ版があるじゃないか!! しかしそうはゆうてもお前、ついこの間完結したばかりなんだから、なんぼなんでもアニメ化はまだされてへんやろ……とか思って目次的なアレを出したら、シーズンが「ファイナルシーズン」とやらまで出ているという現実に直面する。ウオオ・・・? どういうことだ? 昨日の今日でもうアニメ化されたのか? いやそんな馬鹿な・・・しかし最後までやらないのに「ファイナルシーズン」とは普通名付けないだろう・・・うぐぐ、どういうことなんだ。まぁでももう次巻が何巻なのか思い悩むのもいいかげん飽き飽きなので、もうアニメで履修することにする。せっかくだから最初から通して見て、うろ覚えなところも復習しよう・・・と思い掛けて……見るの? 今から? 五十話以上を??? ‥‥‥…うわぁ、めんどくせえ・・・・どうしようか・・・・というかね最近はなんかもうモチベがもうさっぱり何に対しても上がらないんだよ。もう五十話とか見る気力が…しかし俺は以前の俺ではない。以前の俺はこの状況を「感性の摩耗」とかいう

 

 時間切れ。

 

(ふわっとした、なんか文学的なレトリックで表現し、あたかも解決しがたい形而上的問題のように考えがちであったが、何のことはない、ただのドーパミンの分泌不全である。ならば対策の立てようはある)

オープニングだけは知ってたので、本編のノリもそうゆうのだと思ってた

 ファーストガンダムの第一話を視聴する。思ったよりも遥かにガンダムでびっくりした。いや、何言ってんだコイツと言いたくなる気持ちはわかるが、俺の中のガンダム観はSEED以降のものなので、初代はもっとずっと違うものなのだろうと想像していたのだ。つまるところ後世のガンダムたちはオリジナルをかなり踏襲していたのである。いや、しかし、四十年以上前の作品と似たようなノリのものを作り続けて、それが変わらず面白いという事実に、俺は何かモヤモヤしたものを感じる。そんな40年も特に変化しないって、いや、不朽の名作なんて概念を俺は信用しない人間であり、新しいものは常に古いものよりも尊いという信念のもとに生きているわけであるが、このガンダムシーラカンス現象を前に、何か人類史の敗北のようなものを感じる。ガンダム以外のシリーズもので、初代こそが至高などという言説は、思い出補正に目を曇らされた腰抜けどもの妄言と切って捨てるのに躊躇はないが、ガンダムに関しては、おいおい、後世のガンダム制作陣たちはもうちょっとロックしろよという気になってくる。いや、たぶん、SEED以前のガンダムたちの中にはだいぶロックしてたやつもいたのだろうが、俺はそれらをぜんぜん知らんしな。四十年も人類は同じところで足踏みしてるだけか!!!! という絶望がある。

 

 時間切れ。

 

(要するに「これはもう古い」の系譜が途切れ、車輪の再生産が起こっている)

たった一言であの家庭の幸福は永遠に失われた

 『仮面獣』第三章まで読み進める。主人公にいろいろ教えるのは、何か思惑があってのことかなと思っていたら、ヒロインとおぼしきベイブを助けに行くために、自分には特に何の関わりもないのに同行してくれる竜さんはひょっとしてマジでただのいい人なのだろうか。いや、いい人は怪しげなジツでベイブを誑かしたりはしないが! あー、『ダークタワー』を視聴する。あのー、スティーブン・キングの小説が原作のようだ。なんか、電力はあるし、怪しげな瞬間移動手段もあるのだが、それ以外の面では中世レベルな世界がちょっと新鮮というか、こういうのなんて言うんだろう。電力パンク? いや、それは我々が生きるこの現実世界のことではないのか。いやまぁ、それはともかく、敵役がマジで強くて悪いのでかなり気に入った。個人的に悪党の格を測る基準として、「別にやらなくても何の支障もない悪事を嬉々として面白半分にやる」というものがある。本作の敵役は、ギアスめいた能力を持っており、ほとんどの人間に絶対命令を下せるが、道端にいた仲睦まじそうにおしゃべりしている母娘に対して特に何の意味もなく「憎め」と命令するなど、その行いは凶悪の一言。

 

 時間切れ。

 

(しかしそんな彼にも大目的は存在しており、基本的にそのために動くわけだが、結局のところなんでそんな目的のために動いているのかがよくわからないまま終わったな。おそらく原作小説では描写されているのであろう)

「劣勢になったから」と言う理由では武器に頼って欲しくないのである

 『バキ 最強死刑囚編』第五話を視聴する。スペックと花山薫がものっそい殴り合うの巻。スペックサイドの主観における「強さ」の定義とは何なのだろうかと考える。彼は不意打ちをまったく恥ずべき事とは考えていない。不意を打って敵に有効打を浴びせられるのならば、躊躇なくそうする。しかし、一方で素手で敵を殺すことにこだわりがあるようにも思える。卑劣な手段の行使にまったく躊躇いを抱かないのであれば、毒殺とか狙撃とか、なんかそういうリスクを最小限にした殺害方法はいろいろとあるにも関わらず、彼は敵を目の前に置いて、直に殴り殺そうとする。これはなぜか。つまり、卑劣を厭わないのであれば、戦略レベルのハメをも躊躇なく行使すべきではないのか。大量の人員を動員して、ライフルで狙撃させるべきではないのか。だがスペック氏はそれはしない。俺は今まで「素手で殺す」ことに、何か氏にとって重要な基準があるのではないかと思っていたのだが、今回でその考えは誤りであったことが明らかになる。なんか炸裂弾を花山氏の口に突っ込んで

 

 時間切れ。

 

(殴りつけて起爆させるという鬼畜所業に出たのであるが、つまり相手を殺傷する手段は素手に限定されないのである。では彼の哲学というか線引きが何なのか良くわからなくなってくるのである)

ラスボス的存在の不在が不満と言えば不満だろうか

 『虫籠のカガステル』最終話まで視聴する。あー、なんか、銃撃の、火線の描写が、なんか今までよりも迫力があったような気がするが、果たして実際に何か変わったのかどうかは定かではない。あー、えー、半虫人のライバルキャラがなんで「俺をバケモノと認めろ!」とか言う心理に至ったのか、どうもよくわからないまま終わったな。どういうことだったんだろう。ヒロインに対して、あんまし兄貴らしいことをしてやれなかったのが負い目になってて、そうなってしまった理由づけとして「自分はバケモノである。バケモノなんだから人らしいことができなくてもしょうがない」という事実を欲したのだろうか。ぜんぜんわからん。確信がない。どうも本作は人物の心理がふわっとしたまま、なんとなく雰囲気で良い感じになってしまっているようなところがある気がするが、それは必ずしも悪いことでもないような気もする。総評として、まぁ、悪くなかったような気がする。しかし俺は自分の感性をまったく一切信用していないので、他の人が見たら絶賛するのかもしれない。ぜんぜんわからない。本作が面白いのかどうか、まったくわからない。とりあえず戦闘シーンの出来は良好だった。昔の俺ならこの事実だけで絶賛していたような気がするが、今は奇妙に何も感じない。うー、あとは、後は何か、ないか。語ること。うー、わからん。

 

 時間切れ。

 

(ところで仮面獣が届いた)

シロガネのヌミノース理論だ

 『ジャイアントロボ 地球が静止する日』第四話を視聴する。あのー、上海油田がこの世で最後に残った石油採取プラントであり、BF団はここを押さえてアンチシズマ現象を全世界に広げ、自らは石油による動力で悠々自適の暮らしをしつつ世界征服というのが本来の地球静止作戦だったようであるが、ここで疑問が生じる。そんな、動力を完全に取り上げられ、経済も何もかも完全にストップした世界などに征服する価値があるのか? というものだ。世界征服っつったらおめー、世界の富と技術のすべてを我がものにして、他の下々には苛烈な搾取を行い、自らのみが強大な軍事力を保有して反乱できなくするというのが、まぁ普通じゃないですか。と、ここで「別にいつまでもアンチシズマ現象を維持しっぱなしにしとく必要はないな」と思いなおす。「いつでもアンチシズマできるぞ」という脅しを加えて、シズマドライブの使用を許せばよいのだ。それだけで世界はBF団にひれ伏さざるを得なくなるだろう。しかし実際のBF団構成員を見ると、そのような世界征服の構想に無邪気に喜べるような人間にも見えないのであった。

 

 時間切れ。

 

(世界征服というのは、世界すべてにひれ伏されたいとかすべての富を我がものにしたいとか、そういう非常にありふれた、凡庸な欲求に端を発する行いである。しかし、凡庸であるというのは普遍的であるということでもある。普遍的な欲求は、ある程度は満たせるように社会は形成されてしまうものだ。普通に生きていてもある程度は満たせてしまうような欲求が、世界征服に至るほどの妄念を形成するのは難しいのではないのかという気がしてくる)

あんな無茶苦茶な惨劇を起こしておきながらバッシングされて忘れ去られたくらいのことで復讐ておま

 『ジャイアントロボ 地球が静止する日』第三話を視聴する。あのー、昨日、バシュタール現象とアンチシズマ現象は別のものだったのではないか、みたいなことを書いたが、どうやら本質的には同じもののようだ。バシュタール時にはすべての動力を無差別に停止させていたが、今回はシズマドライブにのみ的を絞っていると。しかしそうなると不明なのが、なぜシズマドライブのみに狙いを絞っているのかと言うことである。原子力を停止対象から外したせいで、国際警察機構側に反撃のチャンスが残ってしまった。いったいなぜか。恐らく、彼らは世界を滅ぼしたいわけではないのだろうと思う。なんやかんや声明を発して「てめーら俺に従え」するには、最低限の情報インフラは生き残っていなければならない。バシュタールの惨劇を完全再現すると、そもそも降伏勧告すらできなくなるためだろう。しかしBF団の思惑はそうであったにせよ、今回の作戦の責任者である幻夜氏の思惑はまた異なるはずである。とはいえ彼もBF団に身を置いている以上、団の意向を完全に無視することはできなかったのであろうか。それにしてもフォーグラー博士の復讐などと言うが、彼の行いのせいで全人類の三分の一が死んだわけで、

 

 時間切れ。

 

(正直言って彼に復讐する側に立つ資格とか普通にないように思えるんですがそれは)