螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

誰にも見せられないもの

 たとえばこの問題はアニメ『サイコパス』の一期と二期の違いによく表れている。一期は物語の前半においては(ラスボスと比べると)弱い犯罪者との戦いが串団子方式で繰り返される構成であり、ラスボスはその陰でチラチラと姿を見せるのみであった。この前半部分によって、社会設定や空気感が丹念に描かれ、視聴者に実感を伴った理解をさせることに成功していた。そのうえで、物語後半、いよいよラスボスが本格的に活動を開始し、これまで築き上げられてきた世界観を崩壊させ「やべえこいつやべえ」感がすごいことになってダイナミズムに富んだ物語に仕上がっていた。ところが二期は違う。二期は最初からラスボス(一期のラスボスとは別人)が積極的に活動し、極めて例外的な事態が頻発する。つまり「その世界における当たり前」が描かれないのだ。これがなんというか、地に足がついてない感というか、例外の方が多いルールを見せられた感がして、一期に比べるとやや辛い点にならざるをえなかった。しかしこれはある意味しょうがない。一期は2クールで、二期は1クールだ。単純に尺がたんねえんだよ。わかってやれよ。いやしかし一期の魅力の中核を担う狡噛さんと巻島とおやっさんという偉大なる三柱神が二期には全員登場しないのも痛かった。新キャラたちはかの三柱神にとって代われるほどの存在感を最後まで持てなかった。しかしそれはそれとして二期にも評価すべき点は多々あり、いや何を語ってもネタバレにしかならんのだが傑作の範疇であったと考える。一期が神すぎただけなんや……
 何の話だっけ?