螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

「何もなかった俺だけど、今ではこんなにたくさんのものがある」

 三日月・オーガスという男について、まぁその、一期の段階では正直なところ珍獣を見るような目で見ていた感は否めないのだが、二期で完全に俺の中で永遠となった。この「まったく露悪的ではない基地外」とでも称すべき特異な魂について述べる。
 最初俺はこやつを「異常なまでに自己管理がうまい狂人」なのだと思っていた。非戦闘時のテンションの低さや喜怒哀楽の希薄さは、要するに我を抑えている仮面であり、本性はまさしく魔獣と称すべきものなのだと。戦いなき世界では生きていけない男なのだと。しかし二期の三日月パイセンの最期を見て(もう四回見た。それぐらい好きなシーンだ)そうではなかったのではないかと思うようになる。
 破壊と殺戮の権化としての顔も無論本性ではあったのだが、だからといって普段仮面をかぶっていたわけではなかったのでは、と。
 えー、たとえば夜寝てて、なんか蚊が耳元を飛び回りやがったりするとき、人は「叩き潰したい」という強い欲求を抱く。しかし、仮に一生涯蚊と遭遇することなどない人物がもしいたとして、そいつはきっと「蚊を叩き潰したい」などという欲求を抱くことなど決してないだろう。
 三日月パイセンにとっての破壊と殺戮は、そういうものだったのではないか。叩き潰す対象が現れない限り、それは抑える必要すらなく最初から発生しない欲求だったのではないか。
 彼は一見「欲望」に生きているように見えて、実際は「欲求」に生きていたのだ。定義として共感可能性の高い常人の範疇にありながら、あそこまで禍々しい印象を抱かせる、まことに興味深い狂い方をした少年である。そしてだからこそ、彼の狂気描写にはいやらしさやわざとらしさがない。
 しかし触発されて一期を見返してみると、初期のパイセンはけっこう笑顔を見せるし冗談も言うのな。それがどのタイミングでダウナー無表情殺戮マシーンに変わっていったのか。やはりブルワーズとの戦いにおける「こいつは死んでいい奴だよね」事変が転機だったのではないかと思う。あそこで自らの魔獣性を自覚し、そしてその話のうちに受け入れて止揚にまでもっていったのか。超速すぎる!! やっぱパイセンはすげえよ(震え声)。一般的には悪い変化と言うしかないのだが、パイセンにとってこの変化は別に悪いものでも何でもなく、より自分の在り方に自覚的になって無理なく制御できるようになったパワーアップイベントだったと思う。
 鉄華団は、貧困層の子供たちがそれでも幸せを掴もうと寄り添って生まれた組織である。それが大きな流れの中で磨り潰されるように滅んでゆくさまはただただ「悲惨」であり、そこに美しさは宿らなかった。彼らに対して思うのはやはり「生き残ってほしかった」という沈痛な想いである。しかしパイセンの散り様だけは「悲惨」ではなく「悲壮」だったと思う。「美しい生き様と散り様を見せてくれてありがとう」と、そんな安い悪役のような、しかしもっと素朴な感慨を抱きつつ、筆を置こうと思う。
 なんだかんだいって俺は『鉄血のオルフェンズ』が大好きだったのだ。