疼くその手を、空にかざせ
更新が(いつものように)停止してから、すでに百余年の月日が流れようとしていた――
その間も陰謀団〈網膜の恍惚〉は戦い続け、リーヴァーの三馬鹿が地味にいやらしく活躍したり、ギョロちゃんが戦死したり、QBくんたちが凄まじい虐殺を繰り広げたり、ギョロちゃんが戦死したり、レイダーは毎回撃墜されて女獄長を道連れにしたり、ギョロちゃんが戦死したり、胸板兄貴の胃が蓮コラ化したりしていた。
「ほとんどロクなことがないじゃないですかー! やだー!」
一方その頃、ヴァトハール邸の門前にて。
「あァ? てめえどこカバよ? ここを通りたきゃシャブ持ってきな。それも一台や二台じゃねえ…全部だ!」
門番は当番制であった。トイレ掃除の次に人気がない。
チェーン兄貴は眼をすがめ、奇妙な来客を見やる。
「この私を粗暴な陰謀団(カバル)などと混同するとは……精神的苦痛を受けました。訴訟も辞さない」
異形の男であった。不健康で貧弱な体格に、四本の腕。
むやみに肥大化した背骨が上下に伸び、長虫のごとくのたくって萎びた体を運んでいる。
「私は〈すべての網膜の終わり〉――盟約団(コヴン)の使者と言えば伝わりますかな。……何をしているんです? さっさとヴァトハールを出しなさい。どんくさいですねぇまったく」
男はかすかに首をかしげながら、チェーン兄貴を見下した。他者を踏みつけつことに慣れた者だけが持つ、ごく飾らぬ傲慢さがその瞳にはあった。
あとハゲてた。
「くけけ、いい度胸じゃねえか……えぇ? おい。ケツの穴からスプリンターライフル突っ込んで思うさま引き金引いてやろうか? あァ?」
「あ、あにぎぃ、やっちまっていいんですかい?」
「殺してェ……殺してェ……」
ペイントもバッチリな舎弟たちが素早く展開し、男を包囲する。
だが――異形の男は貧相な肩をすくめ、ため息をつく。
「武器を向けられました。命の危機を感じます。訴訟も辞さない」
そして四本の腕を絡みあわせて複雑な印を結んだ。
「――戒律を、起動せよ」
かくて、悪夢が。
暗灰色の空より舞い降りてきた。
チェーン兄貴「!?」
「おぉ――エリテマトーデス、我が愛し子よ。ご挨拶なさい」
異形の怪物は主人の意に応え、おぞましい声で鳴いた。
「しねうんこ」
鳴き声である。
「しねうんこー……しねうんこー……」
「我らは真理の破壊者。我らは認識の耽溺者。我らは水晶体の夢に遊ぶ者――盟約団〈すべての網膜の終わり(エンズ・オヴ・オールレティナ)〉。死よりも深い闇はいかが?」
「ケッ……しゃらくせえ。かまうこたぁねえ、ブぅチ殺すぜェ……!」
「ヒャッハーッ!」
実際、勝算は高い。カバライトウォリアーのスプリンターライフルは、敵の防御力に関係なくダメージを与えるポイズンウェポンである。このような巨大モンスターこそ相性のいい相手なのだ。
だが――
「しねうんこ……」
エリテマトーデスと呼ばれた怪物は、脇腹についているなんかよくわからんアンプルをキュポン☆と取り外すと、触手の先に絡めてチェーン兄貴に差し出した。
「しねうんこ?」
「あァ?」
最初は銃を向けたチェーン兄貴だったが、アンプルからこぼれ落ちた結晶体に眼を見開く。
「シャブじゃねえかァァァァァァァッッ!!!!」
がばりとうずくまると、地面に落ちたアンフェタミン結晶をラムネ感覚で貪るチェーン兄貴。
「あっ、兄貴だけずるい!!」
「おぉ……古き言い伝えは真であった……! おシャブ様が現世に現れなすったぞォォォ!」
舎弟たちも群がって、血で血を洗う醜い奪い合いが起きる。
「もっと、ありますよ?」
男の声が響き、シャブ中どもは一斉にそちらを見た。
切なく潤んだ、恋する乙女の瞳だった。
チェーン兄貴「べ、別にアンタのために案内してんじゃないんだからねっ! シャブ目当てなんだからねっ! か、勘違いしないでよねっ!///」
「何の含みもなく本当にその通りなのはわかってますからそのウザい口調は即刻おやめなさい。殺しますよ?」
「しねうんこ」
ウォリアーたちに護衛されながら、男は悠然とヴァトハール邸を闊歩する。
やがて――その部屋に、たどりついた。
上「聞いてくれ! 寝取り教育というものを考えたんだ!」
左「おっとり教育のほうがいい感じですー」
右「もう完全に響きだけで言ってるよなお前ら。戦略会議のたびにいつもこんなノリになって終わるけど、マジで俺ら何の話してたんだっけ」
いや、本当に。
「ヴァトハール……相変わらず益体もなくダベっているだけの無能っぷりで何よりです。死にたいんですかあなたは」
男は部屋にのたくり込むと、開口一番そう言った。
瞬間――ヴァトハールは魂消るような悲鳴を上げた。
「ザ、ザ、ザザザザメンホフくん!!」
衝動的に後ろに下がり、壁にバンと背を打ちつける。
「あぁん?」
「ほえー?」
胸板兄貴と女獄長は、闖入者の奇妙な姿よりも、急に取り乱したヴァトハールの方が気になった。
「おい、何なんだよ。あの変なオッサンがどうかしたのか?」
「あ、あぁ……彼は古い友人で、ザメンホフくんと言ってね。コモラフに流れ着いて右も左もわからなかった私に、ここでの流儀を教えてくれた義侠心あふれる超絶美形のナイスガイで〈暗き美の神々〉入りは確実と言われている不出世の天才医師でしかも軍神と言われるほど戦略・戦術両面での軍事的才能を誇り彼が生まれた日はコモラフ中の全生物が彼の生まれいずる方向に向けて拝跪したと言われているほどの多大な威光を持つ現世の神で偉大な指導者で18ホール中11ホールでホールインワンを決めるなど多彩で非凡な才能を示される将軍様であらせられるからしてさっさとお茶をお出ししないかっっ!」
「命乞いの口上としては下の下ですねぇ……覚悟はよろしいか? 出来てなくても待ちませんけど」
するとヴァトハールはあわててザメンホフに駆け寄った。
ヴァトハール「ままま、待って! 待ってよザメンホフくん!! 僕、前世紀は充電してたの! おと世紀も充電してたけど!」
女獄長「おと世紀って何ですかー?」
胸板兄貴「いやそこはどーでもいいよ! おいそこのキモいオッサン! うちのダメなオッサンに何の用なんだ!」
ザメンホフ「ふむ……あなたが……」
胸板兄貴「あぁん?」
ザメンホフ「その様子だと、ヴァトハールからは何も聞かされていないようですねぇ」
胸板兄貴「何のことだよ!」
ザメンホフ「よろしい、手短に申し上げましょう。陰謀団〈網膜の恍惚〉は今日かぎりで解散です」
胸板兄貴「はぁ!? 何言ってんだ!」
ザメンホフ「そも、あなたがた〈網膜の恍惚〉が現実宇宙に襲撃をかける際、必要となる武器弾薬燃料などがどこから出ているか、ご存じなのですか?」
胸板兄貴「え……ウチのオッサンが昔のコネで調達してるとか何とか……ハッ!」
ザメンホフ「察しが早くて助かります。あなたがたに物資を提供しているのは我々――盟約団〈すべての網膜の終わり〉だったのですよ!!」
「「「な、なんだってーっ!?」」」
唐突に現れた三馬鹿は、唐突に去って行った。
胸板兄貴「何しに来たんだあいつら!」
ザメンホフ「当然、タダで物資を提供するようなお人よしなど存在しません。我々もまた、ヴァトハールに代価を求め、彼はそれを了承しました」
胸板兄貴「代価?」
ザメンホフ「戦場にて発生するペイントークン――すなわち結晶化した苦痛のエッセンスを回収し、その60%を我々に供する。そういう契約だったのです」
女獄長「でー、待てど暮らせど全っ然ペイントークンが上納されてこない、とー?」
ザメンホフ「いかにも。最初の百年くらいは我々も寛大に待ちましたがね。さらにもう百年、一個たりとも上納がないとなれば……これはもう物資の供給を差し止めるより他にありませんねぇ」
そうなれば、当然現実宇宙に襲撃をかけることはできなくなり、陰謀団の維持など不可能になる。
ヴァトハール「待ってえええええ! ザメンホフくん! 早まっちゃダメ! 僕スロースターターなの! 来世紀! 来世紀は必ず約束果たすから!」
ザメンホフ「今、出しなさい」
ヴァトハール「へ?」
ザメンホフ「いくらなんでも、今まで一個たりともペイントークンを獲得できなかったわけではないでしょう。それ、今、ここで、全部、出しなさい」
サッと眼をそむけるヴァトハール。
重苦しい沈黙が垂れこめた。
胸板兄貴「おい……? オッサンどうしたんだ。もうこうなったら出すしかねえだろ。完全に向こうに理があるぞこれ」
ヴァトハール「いや……その……」
もにょもにょと口ごもる。
女獄長「……無駄ですよー……」
珍しく沈んだ声の女獄長。
胸板兄貴「あぁん?」
女獄長「ギョロちゃんに、全部、食べさせちゃったみたいでー……」
胸板兄貴「…………」
女獄長「…………」
胸板兄貴「…………」
女獄長「…………」
胸板兄貴「全部てめえのせいじゃねえかァァァァァァァッッ!!」
ヴァトハール「へぶぅッ!! ……ぶったね!? 息子にもぶたれたことないのに!!」
ザメンホフ「あー、もういいんでね、あなたがたは今ここで死になさい。……エリテマトーデス、スピリット・ヴォーテックスを」
エリテマトーデス「しねうんこ」
異形の腰部に備え付けられた緑青色の円盤が、金切り声のごとき唸りを上げ、巨大なエネルギー弾が形成された。
そして、射出。
大爆発。
――ともかく、〈網膜の恍惚〉はハモンキュラスのルドヴィコ・ザメンホフに乗っ取られた!!
――あと、クロノス・パラサイトエンジンのエリマトーデスくんもくっついてきた!!
つづくッッ!!