ダークライト・ネットワーク
――盟約団(コヴン)とは。
悪徳医師の寄り合いみたいなものである。
ルトヴィコ・ザメンホフは、知性体の視覚にまつわる真理と拷問手段について学究する盟約団〈すべての網膜の終わり〉に籍を置き、数々の胸躍る人体実験を繰り広げてきたわけだが――
――そろそろ、潮時かもしれませんね。
ザメンホフは貧相な肩をすくめた。異常伸長した背骨を蛇のようにのたくらせ、這い進む。
ヴァトハール邸の地下――今まで一度たりとも使われた形跡がない、牢獄兼拷問セクションである。
鉄格子の前に立ち、腕を組みながらもう一対の腕でぞんざいにノックした。
「はーい、マスかきやめ。パンツ上げ。起きていますかクソカスども?」
すると、牢の中でもぞりと動く影が三つ。
「おなかが……すいて……力がでないよォォォッッッッ!」
「あり余ってんじゃねーか」
「おーふーろーはーいーりーたーいー」
ヴァトハールと女獄長と胸板兄貴がなんかいつもの調子でグダグダしていた。
ザメンホフはため息ひとつ。
「無視をされました。強い不快感を覚えます。訴訟も辞さない」
ダークエルダー社会に裁判制度が存在するのかは筆者にもわからない。
「それで、一体どうしたんだいザメンホフくん。まさか鍵開けちゃう? 解放してくれちゃう? ついに我々の熱き友情を思い出してデレ期に突入しちゃう感じ? えへへ、いいともザメンホフくん! さぁ、仲直りの抱擁を交わそう! ホモ臭くならない程度に!!」
「盟約団に連絡をとりました死ね。あなたがたの処遇が決定しました死ね。早速ご報告に上がりました死ね」
「うわーい聞く前から結果わかっちゃう感じの語尾きたよー!」
「古老たちは大変に御怒りです。いますぐにヴァトハールとかいう無能をバラして汎用ヒト型決戦グロテスクの材料にせよとのお達しでございます。いやぁ、古き友がそんな末路をたどるとは、まったくどんだけごはん美味いんだって感じですよね」
「いやあああ! おうちかえゆー!!」
「いやここが家ですからねー」
「……おいそこのハゲ散らかしたドクターキリコ!」
女獄長と胸板兄貴が割り込んだ。
「大変な侮辱を受けました。私の心は崩壊寸前です。訴訟」
「グロテスクの材料の話って、俺たちも入ってんのか?」
ザメンホフは眼を細め、胸板兄貴を見やった。
クク、と嗤う。
「もちろんですとも。 まさか事情を知らなかったからお咎めなしとでも思っていたのですか? 甘いですねぇ、捕らえたスペースマリーンの心を砕く瞬間より甘いですよ。ただまぁ――」
鉤爪の生えた枯れ枝のような指でこめかみをつつく。
「個人的には、貴方がたに恨みはありませんからねぇ」
そして二丁のスプリンター・ピストルを取り出し、胸板兄貴と女獄長の足元に放った。
「今、この場で、ヴァトハールを殺しなさい。先に撃った方の一人だけ、命を助けて差し上げます」
女獄長と胸板兄貴はじっと足元を見やる。
お互いちらと見合い――二人同時にスプリンター・ピストルを蹴り上げた。
空中で掴み取り、素早く構える。
「べー、だ!」
「おとといきやがれ」
連続して引き金を引く。
……もちろん、ザメンホフのほうへ。
電磁加速された結晶弾がいくつも突き刺さり、萎びたハモンキュラスの体は後ろに吹っ飛ぶ。急速に黒ずんで血を吹き上げ、奇妙な痙攣を踊りながら、床にくちゃりとくずおれた。
やがて断末魔のダンスも収まり、完全に死亡する。
悲鳴すらなかった。
――ふむ。
と。
ザメンホフは、自らの顎をつかんで思案した。
今までヴァトハールのことを、剣術だけが取り柄の無能と思ってきたが――
というか今もその評価は変わらないが――
しかし。
――カリスマ……という奴ですか。もちろん、普通の意味ではありませんが。
実際のところ、最初はこの三人を牢獄に放置したまま、陰謀団〈網膜の恍惚〉の他の面々たちをまとめて盟約団〈すべての網膜の終わり〉へと接収してしまおうと考えていたのだ。
だが。
胸板兄貴の舎弟たち「寝言は寝て言えやオッサン。さっさと兄貴と親分と姉御を出しやがれ!」
ウィッチたち「うわーん、おねーちゃーん、どーこー?」
ギョロちゃん「ぷいっ」
QBくん「おっしゃりようは理解いたしたし、貴殿に明らかな理がござる。これが天才か。大した奴だ……。されど、我らはヴァトハール殿のもとに参じた身なれば。『君、君たらずとも、臣、臣たれ』。ひとたび定めた主君を、容易く鞍替えはできかねまする」
三馬鹿「え? アンタが新親分? ……ヒャア我慢できねえ! 失踪だ!!」
チェーン兄貴と舎弟たち「べ、べつにシャブぶっかけカツ丼なんか奢られたって嬉しくなんかないんだからねっ!! か、勘違いしないでよねっ!! アンタのことなんてなんとも思ってないんだからねっ!! なんなりとご命令をご主人様!!!! あと俺はやってねえっつってんだろ殺すぞ!!!!」
……従う意思を見せたのは言動に一致が見られないシャブ中どもだけであった。
まぁ、エリテマトーデスとチェーン兄貴だけでも、隠然たる影響力を振うには十分すぎるが……正直にいえば、利に釣られて全員がこちらに鞍替えすると思っていたのだ。
欲得ではなく、もっと別の曖昧な何かによって結束する、愚かな戦闘集団。
コモラフの中では極めて異例の存在であり、恐らくこのような陰謀団は探しても見つかるものではない。
――故にこそ、このアホどもは私の野望への供物として価値があります。
ザメンホフは、心胆の置きどころを定めた。
「胸襟を、開くべきでしょうね」
そううそぶきながら、物陰よりヴァトハールたちの前へ姿を現す。
「なっ……!」
「えー!?」
瞠目する胸板兄貴と女獄長。
「おやおや、私が生きているのがそんなに驚きですか? 太古の邪悪たるハモンキュラスをナメているのですか? 極めて遺憾ですね。訴訟」
さっき惨殺されたのは偽物――というわけでもない。
今の肉体も、そばでどす黒く変色しているこの死体も、どちらも紛れもなく本物である。
「――多重存在。研究を完成させていたのかい、ザメンホフくん。あれは無理だと聞いていたけど……」
ヴァトハールが珍しく神妙な顔で歩み寄ってきた。
ザメンホフ――かつては定命の生物にすぎなかった、多元精神体。
ハモンキュラスの中でも一種の天才であった彼は、特異なアプローチによって真なる不死者への道を拓いていた。
このコモラフには、合計で三百七人のルトヴィコ・ザメンホフが存在している。そのすべてが本物であり、完全に統合されたひとつの意思によって動いているのだ。
ただひとつの精神で、三百七もの肉体を操る男。
それぞれの脳髄は、ひとつひとつが健常に働く思考中枢であるのみならず、網辻の基準界面下――すなわち〈歪み〉空間を走るダークライト・ファイバーによって相互に情報を交換し合い、極めて高度なクラスタ・システムを構築していた。
理論自体は古来より提唱されてきたが、〈歪み〉空間に己の魂を晒すこの行いを実践しようとする者など存在せず、長らく机上の空論と言われ続けていたのだ。
「単純な発想の転換ですよ。己の思考をそのまま伝達しようとするから危険なのです。暗き光(ダークライト)の信号情報――つまり単なる物理現象に変換してしまえば、渾沌のディーモンどもはこちらに気付きもしません」
「よし、何一つわからない!」
屈託のない笑顔。
「でもおめでとう。やっぱきみはすごいなぁ」
「あなたのその無垢さには反吐が出ますが、まぁ、賛辞は受け取っておきましょう。光栄です」
気取った仕草で一礼し、牢獄の扉に篆刻された印に触れる。
すると、鉄格子の輪郭が薄れ、やがて三人の前にぽっかりと出口が現れた。
「……やーれやれ、ようやく出してくれたねザメンホフくん」
肩と首を回しながら、ヴァトハールは悠然と外に出る。
「まるで自分は全てわかってたよと言わんばかりのその態度。虫唾が走りますね。訴訟」
口を開けたまま呆然とこちらを見ていた胸板兄貴と女獄長に対し、傲然と顎をしゃくった。
「何をしているのです? さっさと地上に上がりますよ。どんくさいですねぇまったく。殺しますよ?」
「さて――」
とぐろを巻いた背骨の上に、エレガントに腰かけたザメンホフは、骨と皮ばかりの指を組み合わせ、切り出した。
場所は、ヴァトハールたちがいつもくっだらないことをダベっている会議室である。
「私は盟約団において、いささか苦しい立場に身を置かされています」
「ケッ、俺たちが一個もペイントークンを上納しねえから、テメー自身も責任を問われてんだろ?」
胸板兄貴が苛立たしげに指をテーブルに突き立てる。
「えぇ、まったく、あなたがたの無能ぶりには本当に驚かされましたよ。まさかここまで使えないとは。完全に予想の外でした」
「知るかよ。俺は別にテメーのために戦ってたわけじゃねえ」
「盟約団のおぞましくも古怪なる老人たちは、私に命じました。今すぐにあの愉快な者たちから苦痛の結晶を根こそぎ回収して来なさい。さもなくば、君にとってはいささか不本意な決断をせざるを得ない――と。しかし、その命令を果たす機会は失われました。ヴァトハール・クソバカ・カダグロとかいうアホが、あのメドゥサェに全部食べさせたせいでね」
「だってギョロちゃんかわいいんだもん!!!!!!」
「ゆえに、私はこのまま戻れば殺されるでしょう。もちろん、殺されるといっても三百七人いるうちの一人が殺されるだけのことですが――しかし、盟約団での地位と実験設備まで失うのはさすがに痛い」
「で? おめおめと俺らに泣きつこうってわけか? こんだけのことをしておいて随分面の皮の厚い野郎だな、ええ?」
「だってギョロちゃんかわいいんだもん!!!!!!」
「お言葉ですがねえ、このクソ若造くん? 私というコネクションを失って、あなたがたはどこから燃料や武器弾薬を調達するおつもりなのですか? 言ってみて下さいよさぁさぁ」
「追い詰められてんのはテメーも一緒だろうが! 一体何が言いてえんだこの、足の臭そうなオッサンがよ!」
「だってギョロちゃんかわいいんだもん!!!!!!」
「――とりあえず、二百人」
「ああん……?」
「私を構成する三百七人のうち、まぁ二百人ばかりを奴隷として献上すれば、ひとまずエインシェントたちの怒りもなだめられるでしょう」
「な……っ!?」
「あああああああああ!!!! ギョロちゃんんんんんかわいいいいいいいィィィィィィィィィィ!!!!!!!」
「もちろん、あんなものはダークライト・ネットワークから外せばただの肉人形であり、どれだけ虐待拷問殺戮しようとも、ペイントークンなど吐き出しません。しかし、事実が発覚するまでにしばらくの猶予があるはずです」
「その間に、現実宇宙への襲撃を成功させ、ウソを真に変えろ、と?」
「私がこれだけの自腹を切ってあなたがたを庇うのです。よもや嫌とは言わせませんよこのバラガキが。ひとまず、私は内部監察役としてここに常駐します。あなたがたの弛みきった生活態度、戦闘教条、経済観念、そのすべてを叩き直させていただきますのでそのおつもりで」
「……クソッ、ムカつくが……そこまでされたら無碍にもできねえか……」
「ご同意いただけて何よりです。それでは今後ともよろしくお願いしますねクソカスども。ルトヴィコ・ザメンホフ。ルトヴィコ・ザメンホフでございます」
「あああああああああああギョロちゃんギョロちゃん!!!! ギョロちゃあああああああああああああああんあんあんあああああああああああああああああああん!!!!!!!」
「……突っ込んでもらえなくて半泣きですねー。よしよし」
――ともかく、ルトヴィコ・ザメンホフが仲間になった!!!!